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『雪山童子といろは歌とエネルギー交差について』


雪山童子
釈尊が過去世において修行していた姿
(涅槃経第十四聖行品第七)
雪山童子が苦行なんかやっちゃって
せっせと修行してたんだとさ〜

それを見ていた帝釈天が 苦行なんかしちゃって「どんだけ〜」と思って 
ちょっくら試してみようと羅刹(鬼神)の姿で勝手に
「諸行無常・是生滅法」と半分だけ試しに言ってみたら、引っかかった雪山童子が「どうか残りを教えてください」と しつこくしてきた
羅刹の姿だし しょうがないから「雪山童子の生肉食べたいなっ」て
雪山童子はすぐに「どうしても残りを教えてくださればこの身を差し上げます」
と言うので
しつこいな教えなければこっち悪物じゃんと思い
「生滅滅已・寂滅為楽」と説きました。
雪山童子は喜んで、みんなのためにまわりの木や石に刻み込むと、もう思い残す事は無いので、近くの高い木の上から飛び降りた
げげーやっちゃたなっと羅刹の帝釈天はすんでのところで帝釈天に戻って雪山童子を受け止めた
帝釈天は「尊い気持ちを試してお許しください あなたは本当の菩薩です。後世には必ず仏様になられるでしょう。その時は、この世における全ての衆生をお救い下さい」と言い消えてしまった
大体はこんな感じ 全然違うって?
だいぶ違うかもしれないけど

「諸行無常・是生滅法・生滅滅已・寂滅為楽」雪山偈

「世の中の森羅万象は全て無常であり、生滅を繰り返しているのである。この生滅の法に執着する心を滅するならば、それは一切の諸法を正しく悟り、寂滅の相を現じて真実の姿となる。」ということ

雪山童子

「いろは歌」それはこの雪山偈をもとに作られたといわれる

いろはにほへとちりぬるを(諸行無常)わかよたれそつねならむ(是生滅法)
うゐのおくやまけふこえて(生滅滅已)あさきゆめみしゑひもせす(寂滅為楽)

言いたいのは、帝釈天でさえ、ただでは尊い教えを教え無いと言うこと
エネルギーの交換が必要 この世界に在るもの全ては、数であらわされるらしいから 

それと帝釈天というインド系神も少しはいろは歌に関係してたね
いろは歌になるのはだいぶ後だけども

仏教の教え自体元々あったらしいし、釈迦牟尼から随分たってからお経や仏典になったらしいし、法華経は五百年くらいかかって仏典になりその後、鳩摩羅什が中国語に訳して現在の日本に伝わる事に
ものすご〜く時間がかかるけど、沢山の人の話だとその間に釈迦がちょくちょく、色々な所で教えてくださっているらしい
私もイニシエーションの時もその後も
たまに あったよーな会わないよーな
信じるか信じないかは貴方しだい

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