映画「シビル・ウォー アメリカ最後の日」
既視感。
主人公たちのワシントンDCへ向かう旅が始まると、既視感というのか、過去に観た映画の印象が次々に蘇ってきた。二人の若者がバイクでアメリカを旅する「イージーライダー」、陸送ドライバーがわけもなく暴走を続ける「バニシングポイント」、最近では黒人の音楽家が人種差別が激しい南部を旅する「グリーンブック」、リーマンショックで家や仕事を失った高齢者がモーターホームでアメリカを漂流する「ノマドランド」。いわゆるロードムービーのイメージだ。特に「ノマドランド」で描かれた、リーマンショック以降、衰退し、寂れゆく町や、廃墟と化した工場、難民キャンプのようなホームレスのコミュニティのイメージがダブってくる…。内戦が始まる前から、アメリカの分断と崩壊は始まっているのだ。そして最後の方のワシントンDCでの戦闘になると、今度は戦闘の生々しさから「ブラックホークダウン」「プライベートライアン」「ダンケルク」など映画を思い出し、最後は「地獄の黙示録」のイメージが蘇ってきた。
「なぜ」「どのように」が描かれていない。
この映画では、内戦がどのような経緯で起きたのか、独裁政権はどのような圧政をしたのか、大統領はどのような人物だったのか、反乱軍とも言えるカリフォルニア・テキサス連合軍がどのように生まれ、政府軍とどのように戦ったのか、映画は「なぜ」「どのように」という部分をほぼ描いていない。「それは、あなたたち観客がよくわかっているだろう」と言いたいかのようである。観客が観るのは「内戦の結果」としての米国である。
内戦の結果としてのアメリカ。
テロが頻発し、インフラが破壊され、電気や水の供給も不安定な都市、破壊され、乗り捨てられたクルマで塞がったフリーウエイ、いまだに激しい戦闘が続く町や村、破壊された無数の廃墟、分断され、武装した小さなコミュニティ、難民のキャンプ、市民を殺戮する過激な武装集団…。それは映画の中だけのフィクションではない。僕たちが既にウクライナで、ガザで、ミャンマーで目にしている光景でもある。戦争は現実の世界で、今この瞬間も続いているのだ。
一兵士が大統領を射殺する戦争。
政府軍に対抗するカリフォルニア・テキサスの連合軍WFも肯定的に描かれているわけではない。戦闘で捕虜にした政府軍兵士をその場で殺害するWF兵士。主人公たちは、長く辛い地獄めぐりの後に、ようやくワシントンDCにたどり着く。腹に響く戦闘ヘリの轟音と激しい戦闘の音。そして激しい戦闘の果てに大統領が隠れるホワイトハウスに突入する。発見した大統領を一人の兵士が射殺する…。それはまさに「地獄の黙示録」を思わせるラストだ。戦争はよその国の遠い出来事ではない。戦争は、私たちの中にあるのだ。
この監督、前に観たことがある。
久しぶりに買ったパンフレットを見て、この監督が以前観たSF映画「エクス・マキナ」「アナイアレーション 全滅領域」の監督だったこと知った。どちらもわりと好きな作品だ。「アナイアレーション」は、ジェフ・ヴァンダミアの小説が原作で、映画化は難しいと思っていたが、原作のイメージをかなりのところまで表現できていた。
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