ニートが就労サポートセンターの面談を受けた話 8/20
昨日の夜は珍しく22時頃には薬を飲んで布団に入った。今日の就労支援の面談が朝の10時からだったので寝坊を防ぐ為だ。ニートといえばの例に漏れず、僕も生活習慣はガタガタで昼夜逆転とまではいかないものの深夜3時前後に就寝し、翌日の正午前後に起きるというサイクルを繰り返している。それでも、20代中盤までにネットの人間たちと朝までLOL(League Of Legend)をしていた頃に比べれば遥かに健康的な生活だ……今は徹夜でゲームをする体力さえないとも言いかえられるが。とにかく、社会不適合者にとっては朝早く起きるだけでも一大事なのだ。
何とか無事に朝7時のアラームで起床することに成功。身嗜みを最低限整えて最寄りのバス停からバスに乗った。車内で約50分程度の移動時間があるので、最近ずっと読み進めていた斉藤哲也氏の哲学史入門を開いていた。全三巻のシリーズものだが、一巻と二巻は既に読み終えていたので、現代思想を扱う三巻をパラパラと捲っていく。門外漢にもわかりやすく専門分野を噛み砕いてくれる書物を読んでいると、こんなニートにも何か価値が与えられたようでホッとしたりする。どれだけ上辺だけの知性で塗り固めても内実が虚栄であることは理解しているが、本は小心者の僕が外界へ赴く際のお守りのようなものなのでどうか許して欲しい。
そんなこんなで、目的地周辺へと着いたが肝心のサポートステーション本部を見つけるのに10分以上かかってしまった。まさか、行政から正式委託を受けるような組織が、一階に怪しげな店舗(風俗的なマッサージ屋?)を構える下履きアパート(ホームページにはマンションと書いてあったが、実物は安アパートにしか見えなかった)の一室にあるなどとは夢にも思わなかった為だ。NPOが公金を巻き上げていると何処かで誰かが言っていた気がするが、この外観からは到底そんな裏は感じられなかった。何度も地図と建物を交互に睨みつけ、間違いがないと確認の上でインターホンを押すと優しげなおばちゃんが扉を開けてくれた。どうやら変なお店ではなさそうだった。
中に入ると、一人で暮らすくらいが丁度良さそうな間取りのオフィスに、三人もの大人がデスクを並べていた。誰がかけているのかは知らないが、そこそこの音声でラジオから音楽が流れている。施設内をじろじろと見回す間もなく、さらりと応接間に通され、挨拶と共に名刺を頂いたが、ニートには名刺をどう受け取ればいいかさえわからず、愛想笑いを浮かべるのが精一杯だった。その点は特に指摘を受けなかった。
面談が始まったが、緊張していたほどの中身はなかった。どのようにここまで来たのか、今まで何をしていたのか、これからどうしたいのか、結論から言えば聞かれたのはその程度のことだった。正直に免許がないので徒歩とバスで来たこと、12年間もニートをしていたこと、夢は特にないが、しいていえば何かしらの手段で就労して、貯金が出来たら大学に通ってみたいことなどを伝えた。支援の場なので当然かもしれないが、そのような絵空事を述べても否定的なことは一切言われなかった。指摘という指摘は唯一、僕が全く支援者と目を合わせられないことに対して「私の目を見て話すのは難しそうかな?」と言われたくらいだった。「すみません、自信が全くないもので……」と自嘲気味に猫背を正すのでやっとなのが少し情けなかった。
話の途中で高校を中退してしまった理由の一つにヤングケアラーであったことを話したら「あなたは今まで本来はしなくてもいい体験をしてきたのね、自分を責めなくてもいいのよ、あなたは立派よ」と、過剰に思える程に温かい言葉をかけてもらい、つい涙が溢れた。初めて他人から生き方を認めてもらえた喜びと、思ったよりも優しく対応してもらえた安堵が込み上げてしまったのだ。
支援者の方はぼろぼろと泣き出した僕が落ち着くまで静かに待っていてくれた。インターネットで感じるほど世の中は冷たくないのだな、としばらく妙な心地で涙を拭っていた。
最後の方に、少しだけ就労先のアドバイスもあったが、とにかく急いてはいけないと念押しされた。恐らく、脱ニートを焦って失敗し、より深い沼に転がり落ちて抜け出せなくなる相談者も多いのだろう。何となくそういう懸念を感じる口ぶりだった。そして、運転免許を取得することを強く勧められた。この地域ではやはり徒歩や自転車のみで就労先を探すのはあまり現実的とは言えないらしい。これは目を背けてきた大きな課題の一つだった。親にその費用を捻出して貰えそうか、と尋ねられたのを即答出来ずにいると、次々回くらいの面談には両親のどちらかを面談に連れてこられないかと言われてしまった。もし来るとすれば母しかいないが(父は僕に全くの無関心な為)母はとても子供っぽい人間なので、第三者から家庭内についてとやかく言われて喧嘩になったり、ヘソを曲げたりしないかだけがとても心配だ。母にヘソを曲げられてしまうと、僕はまた上野の公園や日比谷の地下道でホームレスのおじさんに紛れて寝そべることになる。とにかく、その場では両親を連れてくるのは要検討だ、とだけ返答しておいた。
次回の面談を予約した後で、ついでに『履歴書の書き方講座』というものを受講することになった。講座といっても、なんと今日の受講生は僕一人なのでさながら個別指導塾のようだった(塾になんて通ったことはないけれど)。そこで初めて履歴書の本物を見た。なんと驚くことに、この男は齢29に至るまで履歴書一つ見たことがなかったのだ(そのことにさえ、この時初めて気がついた)。そこで、本当に基礎的なことを一から教えてもらい、ついでに今時の履歴書には性別を記入する欄がないこと、アメリカでは人種差別を避ける為に写真を貼るスペースすらないことなどの豆知識も教えてもらった。
10時に始まった面談が、終わる頃には12時半を回っていた。「ありがとうございました」と出来る限り深く頭を下げて、狭いサポートステーションのオフィスを出ると、心身がとても疲れ切っていることに気がついた。慣れない早起き、移動、コミュニケーション、考えてみれば疲れて当然だった。緊張に上手く誤魔化してもらっていただけらしい。その後、帰りのバス停までの途中で忘れ物に気づき、一度またオフィスに戻るくらいにはぼうっとしていた。本当はそのまま帰ってしまおうかとも思ったくらいだった。
ところで、実際に初めてこういうNPOを頼ってみて感じたことだが、深い感謝の念を覚えると同時に一部の相談者がこうした支援活動に無力感を植え付けられる気持ちもわかる気がした。とにかく、地に足のついた支援とは地味なのだなと思った。当然のことだが、こういう場へ来たからと言ってすぐさまに現実の何かが好転するわけではない。冷静になれば12年間分の緩んだネジがたった1〜2時間の面談や講習で巻かれるわけもないのだが、相談者というのは得てして現実を甘く見積もっているものだ(それも、そもそも現実がどういう仕組みで成り立っているかを知らないが故かもしれないが)つまり、支援にさえありつけば、あとはベルトコンベアーで運ばれて製品が出荷されるようにニート状態の自分が何処かで雇ってもらえるもの(それも比較的低ストレスな職場で)くらいに思っている。しかし、現実は一度目の面談など、ひたすら現状を支援者に話し「何か夢のようなものはありますか?や、まずはどうにか運転免許を取得してみませんか?」のように、やや悠長なアドバイスをされて家に帰されるだけだ。僕にしたって、果たしてこれで何か変わったのだろうか……という自問自答を繰り返しながら帰りのバスに揺られて、家に着いて、半ば茫然自失な状態でこうしてNoteを書いている。
そういえば、昔(現在進行形?)NPOで若年女性支援をしている団体が何だかんだと叩かれていたのを思い出した。公金の不正利用という事実の白黒はニートなどには知りようもないが、波及して活動内容の正当性が疑問視されていたと思うが、こうした弱者支援の実態というのは支援者と相談者にしかわからないものであり、切り取って得た情報ではそれが有益か無益かの判別などつかないように思える。実際に、市から委託された支援業務の一環に『履歴書に触れて書き方を学ぼう』なんて講習があると知ったら、無駄金だ!と怒る市民もいるんじゃないかと思う。真っ当に生きてきた人間からすれば、12年間もニートを貫き、生涯で履歴書を見たことのない人間が同じ社会に存在するなんて想像はきっと出来ないだろう。
それに、人を支援するというのはとても一筋縄ではいかないことなんだということが、支援者さんの僕に対する接し方で伝わってきた。こんなに大変な仕事を(恐らく)薄給で社会正義を信念にして続けられる人々にはより敬意を払おうと思った。なにせ、僕はどれだけ内側に人に対する憎しみを抱えたところで、そうした人たちの正義や優しさによって成り立つ社会の上でしか生きることが出来ないのだから。
今日の日誌はここまで、読んで下さった方は是非スキを頂けると脱ニートの励みになります。疲れているので文章が読みにくかったり、誤字脱字があるかもしれません。