ボーダーから目を上げよう
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この1年間、「あと何点取らないと受からない」という嘆きを何度も耳にしてきました。この悩みには多くの受験生が悩まされてきたと思います。しかし僕はボーダーを目指して受験勉強をすることには忌避感があるのです。今回はそれを皆さんと共有できたらと思います。
受験とは何か
「大学受験とは高校生活のゴールである」と言う人がいます。合格が受験勉強にとって理想のゴールであるということは確かに紛れもない事実でしょう。しかし、合格そのものは人の一生の中で本当に「ゴール」に当たるものでしょうか。
そんなことはないはずです。自分の入りたい学校が明確に決まっている人も、特にあまり希望はないけれど自分の行ける最高到達点を目指す人も、どちらも本当の主眼は合格ではありません。受験勉強の直接的な目標は志望校に入学しそこで学びを深めることであって、合格はあくまで手段に過ぎないのです。
極端な例を出せば、とある大学にどうしても行きたい2人がいたとします。入試には合格したのに入学手続きを怠って行けなかった人と、入試には落ちたけれど交換学生という形でその大学に通うことになった人です。この2人のうち、自分の目標を達成したのはどちらでしょうか。後者ですよね。
察するに、目的と手段を取り違えている人が多いと思うのです。受験勉強の成果として得られるということになっている合格というものが大学に入学するための手段である以上、受験というものは大学に通う準備であると言う他ありません。
「大学受験が高校生活のゴールである」のではなく、「大学受験は大学生活のスタートでしかない」のです。当たり前のことではありますが、受験というイベントが(大学生ではなく)高校生の間に起こるせいで多くの人がこの単純な事実を見落としているのでしょう。
受験だけを見た結果
さらに考えを深めると、新たな発見につながります。受験勉強は大学に入学するためだけの勉強ではないということです。合格しても通えなければ意味がないのと同じように、入学できてもその翌日に退学したのでは大して意味がありません。「大学が1日だけあなたを意識する権」を手に入れてどうするんですか? その大学のファンだというなら感無量だと思いますが、大学そのもののファンの人なんてほぼ皆無だと思います。
これを言い換えれば、受験勉強は大学に通い続けるための勉強(の一端)だということになります。僕はこの中高6年間、これを理解できなかったであろう同級生たちが苦しむのをずっと見続けてきました。
追加合格で、逆転合格で東海に入ってきたは良いものの、喜びも束の間に周りは自分を上回る頭脳の持ち主ばかり。授業を聞いてもさっぱり分からず、勉強しても席次は上がらず底辺街道をまっしぐら。努力は報われず、勉強する価値も見いだせず、次第に学習から離れて遊びに全力を注ぐようになり、結果的に入学した時よりも成績が落ちながらも何とか単位を拾い集めて、時には留年を経験して卒業していった知り合いの姿です。
もし彼らが名古屋中学を始めとした少し偏差値帯が下がったところに入学していたらどうなっていたでしょうか。その多くが学内トップ生として学校を牽引し、自分のやりたいことものびのびとやって中学受験の頃に成績が上だった友人を見返していただろうと感じることが何度も何度もありました。
学校の奇妙な性質
こう考えるのには理由があります。それは、卒業時には上と下はどこも同じくらいになるという学校の奇妙な性質です。どういうことかというと、入学時には成績順で分けられたグループも数年間をそこで過ごしていざ外に出てきてみると、どのグループもなぜか最上位層と最下位層は同じような成績を収めているということです。
例えば東海中高と南山中高男子部を比べてみましょう。『みんなの中学情報』サイトによると東海の偏差値は60、南男の偏差値は50となっていて大きな隔たりがあります。しかし高校の進学実績を見てみると、両校とも東大や京大の合格者を輩出しています。南男から東大理Ⅲの合格者も出ていたはずです。逆に下位層を見てみると、生きていてあまり耳にすることのないような、あるいはあまり学業面では評価されていないような大学に進学する生徒もいます。
偏差値が20も30も離れると事情が違ってくるでしょうが、中堅層がどこのレベルに行くかという違いこそあれどなぜか上と下は平均化されるというのは統計的な事実です。まさに「鶏口となるも牛後となる勿かれ」です。まぁ進学実績だけが学校の良さではないので一概には言えませんけれどもね。
何を見て勉強すべきか
こういう実態がある以上、はなから合格最低点を目指して勉強するのはお門違いではないかと僕は強く主張します。余裕をもって学習以外の活動にも全力を注ぎながら学生生活を送るには合格者平均点よりも高い点数で受かっているのが良いと考えています。
もちろん、合格者平均点を取れる勉強はしてきたけれど当日体調が悪かったり問題傾向が変わったりして結果的にボーダーぎりぎりで合格したというケースもあるでしょう。これはまぁ許せる方ではあると思います。
しかし受験期から合格最低点とにらめっこというのは少し信じられないものがあります。特に、そういうことをやっている人に「どうしてもこの大学に受からなきゃ、僕はこの大学に通えないと死んでしまう」みたいな人ってそうそういないんですよ。というか毎日ボーダーをさまよいながら赤本を解いていてよく発狂しませんね。みんなメンタルつよつよなんですか?
ちなみに
おそらく Twitter で僕と知り合いの方は分かると思うんですけど、僕って本当に勉強しないんです。真面目に勉強していたのは中1くらいで、中2の夏からは遊び始めましたからね。僕にとって考査期間中は勉強する時間ではなく他校の人と遊びに行ったり自分の好きなことをやる時間でした。
それでも、中1の学年席次21位に対して高3の学年席次は45位までしか下がっていないんです。学年の上位10%から転落してるじゃないかとか席次が倍以上になってるじゃないかとか言われると心苦しいですが、それでもこんなに遊び呆けても最初が高いとあんまり成績落ちないよということは経験談としてお伝えしておきます。
さいごに
これから受験モードに入る後輩たち、もう一度気合を入れ直して勉強に励む同級生たちが来年晴れやかな笑顔でいることを願っています。そのためにも、不要で不用意で不本意な志望校の高望みはしてほしくありません。夢と目標を追う全ての人に幸運が訪れますように。
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