推しの話をしよう
私はぐでたまを推している。
いつもぐでぐでとやる気のない、たまごのキャラクターである。
ぐでたまのことは、ぐでたまがデビューしてまもなく知った。
具体的にいつどうやって出会ったのか、もう覚えてないけれど、ぐでたまは2013年に生まれたキャラクターで、その時高校1年生だった。
なぜぐでたまを好きになったのか。
それは頑張ってないのに、愛らしいからだ。
出会った当時の私は、「頑張らない」なんていう選択肢は、人生で一度も持ったことがなかった。
本当に、取り組むもの何でもかんでも、全てについて、そう。
英語とか得意だった科目だけでなく、
苦手だった数学や体育も。
部活も、習い事も、学校行事も、
人間関係をなるべく丸くすることも。
頑張らなければ(そう認識されれば)失望される、見捨てられる、怒られる、らしくないとか言われる。
年に一度の家庭から学校への申し送りにも、私の性格を書く欄には決まって「頑張り屋」と書かれていた。
外からも内からも、それはアイデンティティとして私の中に高く高くそびえ立ってた。
その結果、私はぐでたまと出会ったのとほぼ時を同じくして、破綻した。
「頑張らない」
それがアイデンティティで、愛される要因になっているこのプリケツのたまごに出会って、私は本当に衝撃を受けた。
世の中、そんなことあってもいいんだ。
衝撃を受けたと同時に、羨ましくなり、憧れ、愛おしくなり、頑張らないことを覚えようと心に決めた。
現代社会を生きる人間としては、何でもかんでも頑張らないのはさすがにちょっとアレだが、何でもかんでも頑張るのもまた、さすがにちょっとアレであることに気づいた。
ぐでたまが私にもたらしてくれた重大なものは、新しい視野のほかにもうひとつある。
それは、私が「ぐでたま大好きキャラ」として認識されるようになったことだ。
プライベートで、新しいコミュニティで自己紹介をする時、必ず「ぐでたまが大好きです」と言う。
サンリオの中で、キティちゃんやシナモンほどの知名度はないけれど、それはキャラ作りや話題作りにはうってつけだ。
コミュニティの中で、ぐでたま大好きというキャラはそうそう被らない。
ぐでたまってサンリオのキャラクターなんだ!とか、たまごをキャラクターにするって攻めてていいよね!とか、話が広がることも多い(気がする)。
最近の交友関係の中では、ぐでたま大好きキャラに留まらず、ぐでたま、ひいてはたまごそのものと私を重ね合わせてくれている友人も多い。
ぐでたま大好きをしきりに自分のキャラとしてプッシュしていくうちに、ぐでたまと言えばこっちーだよね、たまごと言えばこっちーだよね、みたいに思ってくれてる人たちができた。
私はそれでとても美味しい思いをしている。
後輩気質で人と距離を縮めていくことが多い私としては、「たまご」というまだ未熟でポテンシャルに満ちた存在を私と重ね合わせてもらえることは、嬉しいし楽しい。
また、私のたまごキャラが走りに走った結果、たまごを見たり食べたりすると私を連想してもらえたりまでしている。
たまごは割といつもみんなの生活の近くにある。
そのたまごに私が紐付けられたことはとっても私得である。
同じように、ひよこが大好きでひよこキャラであるひとつ年上のお友達とは、大変ありがたいことに、姉妹のような関係でいさせてもらっている。
サンリオキャラクター大賞おつかれさまでした。
ぐでたまはいつもTwitterで、キャラクター大賞に関してもあんまりやる気なさそうにしていたけど(かわいい)(それでいい)(そうであれ)。
でもファンとしては、ぐでたまのグッズとかいっぱい出てほしいし、末長くぐでたまのこと見ていたい気持ちを込めて、毎日投票してました。
色も形も質感もお尻も性格も何もかも全部大好き尊いのはもちろんのこと、私の人生ぐでたまのおかげでハッピーになってることがいっぱいあります!
ぐでたまありがとう!
サンリオありがとう!
ビッグラブ🥚💛
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