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吾輩のエゴである
秋の足音が聞こえ始めた、ノンビリした休日の出来事でした。
私と暮らす兄弟猫の片割れ、ウニが網戸を破ってて、居なくなってしまった…
ウニは以前より外を眺めるのが好きな子だった、鳥や、虫や、道を通る人をよく眺めていた。夏の彼の定位は日陰の網戸の前だった。
一緒に暮らした4年間で、不意にベランダに出てヒヤッとすることは一度だけ有ったけれど、その時は好奇心旺盛なツナだった。そんなツナを眺めてる怖がりなウニ。彼がそんなに外に出たがっていたなんて、正直考えもしなかった。
体は細く臆病で神経質、尿石が出来やすく、食事療法中。そんなウニが外で生きられる想像が出来ない。車通りの多い休日の夜7時、懐中電灯片手に名前を呼びながら捜していても、悪い想像しか浮かばなかった。
大の男が、声を出しながら捜していれば、当然在宅のご近所さんにも聴こえ、捜すのを手伝って下さった。日の入りの早さが憎かった。車が通る度に心がザワついた。
あのコは何処まで行くだろうか?どの範囲が可能性が高いだろうか?闇雲に車の下や、庭先を照らし、声をかけた。今になって冷静になると、よく通報されなかったものである。
自宅から500メートルぐらい離れた家の前で、猫に餌を上げてる人が居た。餌を貰ってる猫達は、飼い猫ではない…餌を貰ってる数匹の中にウニの姿もない。ダメ元で声を掛けると、「一匹見慣れない子がいる。ほらアソコに」女性が指さした先をライトで照らすと、隣のお宅の庭に生えた、植木の根元にウニが蹲っていた。
もう一度、ウニをこの手で抱き上げる事が出来た。
怯えきっていて、震えてるものの、怪我もなく。帰宅後は、駆虫やら身体拭きやらブラッシングやら、ドタバタが済んだ頃には、すっかり落ち着いていた。
その日の夜、布団の中で色んな事を考えた。
私は猫の自由を奪ってるのだろうか?
猫にとっての本当の幸せとは何なんだろう?
捨てられたこの子達を見た時、このままじゃ長くない事が見て分かる状態だったから、助ける事に迷いは無かったけれど、〝助けたい〟すらも、私の意思でしかなく、彼らは〝生きたい〟それだけだった気がする。
結局は私のした事も、地域猫として去勢する事も、餌だけをあげる事も、人間の都合でしかなく
私のエゴなのかもしれない。
それでも、少しでも長く一緒に居たいと願ってしまう自分が、酷く自分勝手に思えて。私はこの日から「猫好き」と言うのをやめた。好きだけど。