書いた方がいい
10代の頃の自分に言いたい事があります。
「何か書け」です。
僕にはお笑いを見た時、特に「面白い!!」と思ったネタを見た後は、頭の中でそのネタを延々と反芻してしまうクセがありました。
漫才やコントを1回か2回見ただけで、ボケの前のフリからボケた後のツッコミのセリフが頭の中にインプットされて、延々とリピート再生される感じでした。
お笑い以外でも人との会話が反芻してしまうことは、しばしばありました。
でもそれは、恥ずかしいと感じた時のようなネガティブな体験をした時が多かったです。
「クラスの皆の前で何かを発表する」などという行為をした後は大反芻タイムでした。
反芻している時、頭の中は文字が溢れかえります。「なぜこんなに恥ずかしい事になったのだろう。」「あのタイミングであぁ言えばよかった。」
などとずっと考えてしまいます。
それに対して、お笑いを見た後の反芻タイムは幸せな時間でした。
「このフリが効いてるんだな」とか「ツッコミのフレーズがスパッと短くて、間も最高だったな」とか頭の中で考えて一人でニタニタするのです。キモいですね。
今思うと、なぜ自分が「面白い」と感じるのかロジックを形成しようとしていた気がします。
大人になると、生活の大半を「仕事」が占めるようになりました。
技術職に就き、仕事内容が難しいこともあり、上手く行かないことがほとんどです。
そうなってくると、自分を保つために必要になるのが「自己肯定感」です。
仕事では自分よりも実力や経験のある(?)人から正論で詰められ、自分の力不足をこれでもかと痛感させられます。それを乗り越えて自分も実力をつけていくことで、社会で生きていけるようになっていくのです。
しんどいです。でもそれが正しいからしんどくて正解なのです。
仕事で理不尽な状況になった時、役に立つのが、
「でもこのおじさんはバカリズムのライブ
見に行ったことないし。」とか
「でもこのおじさんはマキシマム ザ ホルモンの歌詞カードに書かれたあのアツい言葉を知らない。」とか
そういう仕事以外のことだったりします。
10代の頃の自分へ
M-1やキングオブコントを見てアツくなり、頭の中が言葉で埋め尽くされている時、その言葉一つ一つが「自分」です。
漫画や音楽に触れて、アツくなっている時のものもそうです。
自分を大切にし、宝物のようにしよう。
お笑いを見たって、音楽を聴いたってお金にはなりません。でも、それらを見たいと思うことや、見てアツい気持ちになったりすることは全くムダなことではなく、「自分」を認識する役目があるような気がします。
それを書き残しておくとその言葉一つ一つが文字として残ります。
それを今(未来)のおれは見たいと思っています。
それを見て、尊いなぁと思えたら、自分で自分をもう一度好きになれる気がするからです。
今思えば、そういう「自分」を押し殺す様なクセがついてしまったような気がします。
親がお笑い嫌いで、芸人のことを安易に「つまらない」と言ってるのを見たり、友だちと好みが合わずからかわれるような体験をした時、「自分」を否定された様な嫌な気持ちになっていました。
その相手に言い返した所で、相手にそこまでの熱量がないので意味がないことが多く、無力感を感じるだけでした。まぁ今考えてもそれはそうなんですが。それが今の自己肯定感の低さの1つの要因なのかも知れないなと少し思ったりもします。
そんな経験を経て、このアツい気持ちを誰かと共有したいとか思う事はやめるようになっていきました。そして1人悶々と抱えていたような気がします。
今思うのは、別に誰かと共有したりなんかしなくていいので、何かを残しておいて欲しい!じゃないと忘れちゃう!
おれがいつからM-1を見始めたのか、その時どんな感情になったのか。
初めて買ったCDはBUMP OF CHICKENのorbital periodだった。それ聞いてどんな感情になったのか。
NARUTOが好きだったけど、大人編になってからだんだん読まなくなった。なんでだったのか。
それらはもううろ覚えになってしまっています。(書き出してみたら色々思い出しては来ましたが。)
子どもの頃からその感情を自分で愛するクセをつけれたら、もっと自己肯定感の高い人間に慣れていた気がするし、
大人になった今それらを思い出せたら、生きる糧になる気がするんです。
誰かに見せようなんて思わなくていいので、なんか書け!残しとけ! 以上。