「自燈明」

『2020年6月30日にまたここで会おう』特設noteと期間限定で公開されている故瀧本哲史氏の講義動画を観ました。

4月頃にnoteのアカウントを作ったあと、今まで暫く放置してましたが、今夜これほどに貴重な経験を与えてくれた企画者の方及び故瀧本氏に敬意と謝意を表すためにも、拙いながらも感じたことを記録に残したいと思います。初投稿の中で至らない点が多々あるもしれませんがご容赦ください。

まず全体総括。最近聞いた数々のスピーチの中でも最も心揺さぶられた3時間弱でした。鋭い知性を伺わせ聴衆を飽きさせない話運び、その中にも所々に滲み出る瀧本先生の人間としての暖かみ、そして共感とともに若者としての責務を感じさせられたテーマ設定。どれをとっても素晴らしく、8年後の今でも全く色褪せていないスペシャルな講義でした。8年前の当時にもし参加していたら、今の自分は果たしてどうなっていたのだろうか、そう考えると悔しくなるような、そんな講義でした。

講義の冒頭に出てくる言葉で、記事のタイトルにもさせて貰った「自燈明」という言葉。仏陀の教えの一つで、講義の中では「他の誰かを灯りにして進むのではなく、自らを灯りと成せ、という教え」との紹介がありましたが、まさにこれは現代を生きる全ての人に求められていることだと、天啓を得た思いです。

ここ最近、日本という国にどこか漂う閉塞感、その根源であるように思われる社会構造、それらを踏まえた行政運営に、若者として軽い絶望と諦めを抱いていました。全国民の「健康的で文化的な生活」の維持を達成するために経済成長を謳い続ける一方で、その担い手となるはずの次世代へのバトンタッチ・支援に費やされる資金に比べ、圧倒的に多数の金額がマジョリティである高齢者たちへ流れていく現実。本来は手段である議員当選が目的と化しており、短期的視野眼に陥っている数多の政治家。極度に非合理的な処遇・環境から人材が集まらず、集まった人材すら次々と去っていく中央官庁。国としての体裁が年々損なわれていっているように見えていました。また、世界に目を向けても、貧困、差別、環境問題、テクノロジー面での格差などの課題については、確かな改善や前進を見せている部分もあるものの、引き続き根強く存在し、一部は強化されているように感じることも多々あります。

私たち人間はどこに向かっているのか。生物として滅びの道を加速しながら進んでいるのではないか。考えれば考えるほど、疑問は深まり底無しの沼に囚われていくような思いが強くなっていました。

ただ、それはまさに外に灯りを求めることで自分で生み出している負の感情に他ならないと、本講義によって悟らされました。自らが灯りになるために何をしてきたのか、何をしているのか、何がしたいのか、そこを問い詰めていくことで本物の人生を生きたい、と今改めてじわじわと胸の奥からバイタリティが湧き出してくるのを感じています。

時間の有限性、人生のチップ、盗まれないものはその人の人生(ストーリー)、などなど、まだまだ尻の青い自分には実感を持って捉えづらい概念ではあるものの、若さに甘えるのではなく若さを存分に謳歌しろ、腐らずあくまでもポジティブに自分の想いに正直に生きろ、と強くエンカレッジしてもらえたような気がしています。信念をもって周りの人たちを変えていける小さなリーダーに自身もなれるよう精進するという決意表明を以て、瀧本先生とこの企画を実行してくれた方々への宿題提出とさせていただければと思います(ハッシュタグの付け方、あっているのかな。。。歳の割にアナログで申し訳ないです)。

#瀧本宿題





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