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デジタルという細分化思考
デジタルとアナログという対比をよく見かけます。
そして、時と場合によりこれらの言葉は意味を変えます。
1つ目は今と昔。
2つ目は細分化と一連。
3つ目は機械を使うと人間を使う。
アナログなやり方では今のデジタル社会で通用しないと思いますが、物事をアナログではなくデジタルで捉え、データを蓄積することによりデジタルとアナログの差異を見つけ、その差異をデジタルにディープラーニングさせていく。
意味がわかりません。
そもそも、外来語を使用することは日本語にはないニュアンスを表すためなのですが、なぜかカタカナを連発する世の中になってしまいました。
英語教育を頑張っている原因はこれではないかと思ってしまうくらいです。つまり、英語を勉強しないとカタカタ連発日本人と対等に渡り合えないということです。
このカタカナ連発日本人は、徐々にその勢力を拡大させ、ビジネスの世界の覇権を覇道により牛耳ろうとしています。意識が高いですから。この状況に待ったをかけるべく、文部科学省が本腰を入れたのです。
細分化は物事を理解するのに必要です。ヒト・タンパク質は区切りを付けることにより、それを有限にして、有限内タンパク質の世界に誘います。同じ土俵といいますか、デジタルによりその調整を可能としました。
この味をしめたヒト・タンパク質はあらゆるものを区切りまくります。長さの単位をはじめ、人種、信条、性別、社会的身分、又は門地、政治的、経済的、社会的関係などさまざまです。物理的区分では物足りなく、精神的区分にまでメスを入れます。
この物理的区分と精神的区分にヒト・タンパク質は己の選択的思考、社会的思考、はたまた自己決定的思考までもがパラサイトされていることに気が付いていません。
むしろ、それらの要素を自らの知恵、知識に取り入れたと思っていて、自らの自己決定的思考に忠実に従っていると錯覚しています。
デジタル思考により細分化は何をもたらしたのでしょうか。アナログ思考では、何が生まれなかったのでしょうか。
よく、物事を複眼的に見ましょうと教授されますが、これは今までは一区分のみでしかそれを見ていなかったのを二区分で見る、又は、一区分で見てその一区分を一連の流れも加えるということです。このデジタルとアナログの組み合わせは爆発的な理解をヒト・タンパク質にもたらしてくれます。
理解が増えるのは実は錯覚なのではないか。ふと、怖くなります。しっかり理解ができるものはデジタル思考のおかげ、理解があやふやなものはアナログ思考。つまり、グレーゾーンという神秘たるデジタルを生み出したのです。わかっているものはわかっている。わかっていないものは、とりあえず細分化が難しいからグラデーションという蓋で閉じておきましょう。
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