地球内構成物質
ヒトは歪んだ形をした三角形を三角形と認識出来ます。ヒトは色の強弱が違う白を白と認識出来ます。
その同じカテゴリーに入れる能力は大変素晴らしいものですが、それはヒトの細分化の限界を表しているとも言えます。個々の存在に個々の名前を付け、それをそれぞれ別のものと判断し、日常で使い分ける能力を持ち合わせていないからこその能力です。つまり、ヒトが創り出した言葉は有限であると言えます。生命体は地球内で生まれ、地球内の物質で(宇宙由来で)構成されております。抽象的限界は物質的限界と相まってヒトを特別な生物にしておりますが、それはあくまでも有限内です。例えば宇宙人との交信に成功していないヒトはそもそも地球内構成物質生命体ですので、遥か彼方の宇宙がヒトが接している物質と同じ環境ではなく、違う物質で構成されておりましたら、物質が違うことにより地球生命体と宇宙人が交差することは極めて難しいこととなります。
地球世界と異世界とでも言うのでしょうか。この不可能を可能にするためには、何が必要になるのでしょうか。
中心から広がりを見せる現世界の現象はヒト共通の考え方です。その裾はゆらゆらと揺れて、中心と比べますと心もとなく、それはまるでプランクトンです。正法、像法、末法と同じく徐々に内密度が下がります。ネクトンからプランクトンと変化すると考えますと、裾も悪くはありません。ネクトンは力に対抗する意志がありますがプランクトンは環境と一体化をして、環境に我が身を任せます。意志がなくなり自由もなくなると見えますが、自由とは何からの自由なのか。自由を意識すればするほど、何かに縛られてしまいます。それはヒトの社会だと文化です。地球環境の物質で構成されている生命体は本来地球環境と一体化出来るはずです。一体化をすればそれは生命体が創り上げた習慣、文化、システムを考えなくて済むようになり、この上なく心地良い状態を手に入れることが出来ます。これこそ大変身近にある極楽浄土なのではないでしょうか。
地球が創り上げたフィールドにヒトが作り上げた建造物を置く。自然物と人工物の対比で自然を破壊していると見えますが、ヒトが作り上げた建造物は地球が(宇宙が)生み出した物質のみしか含んでおりません。公害などヒトに対して良くないことは自然に対しても良くないと言えますが、これはヒトの生存期間が極めて短いからこそ負の蓄積と捉えられます。一方、地球はこの公害を時間と共に解決します。これこそ地球が持っている浄化作用、エントロピー増大に抗う循環です。