創出的なヒト
線がございます。過去、現在、未来と一線で続いている道です。ただ、線とはヒトの人生を表した棒となりますが本当に線の考え方は重要なのでしょうか。線とは点から点へと続く途中過程。途中過程の連続が線となり、また途中経過が続くと線が延長されます。このことから線とは点の集合と言えそうですが、その点は一体何なのか。点を拡大してみるとまた線になっている。点と点の集合体が見えてきます。こう考えますと永遠と続く復唱となります。人生に例えられる線は人生を表す最適な比喩なのでしょうか。時間を点と表す。その点として表された時間の集合体が線。では線は人生の何を表しているのでしょうか。時間の連続として考えますと1時間や1週間でしょうか。1時間、1分、1秒など時間幅がありますが、人生においてどの時間単位が最重要になるのか。個々により違うと考えられそうですが、その区分けは感情の区分けとなります。つまり時間本来の価値ではなく自分の感情により評価された区間。このことから時間とはヒトにしてみれば重要ではないのではなかろうかと。では、点や線の感覚は感情の付加物としてしか意味しないと言えるのではないだろうか。点とは一瞬、線とは一瞬の連続。時間の区分けは流れを想起させますがそれは所詮、感情の表象物であります。
1時間の長さはヒトの共通認識の中に有り、感覚の統計的成長指標となります。そしてこの時間の中に感情を組み込むことによりヒトの操作範囲内の概念と化します。ヒトは有限的生物ですので、その有限内にいかに落とし込むかがヒトの作法となります。有限内に落とし込むことが出来て初めてその価値を見いだす。表象されていない本質的存在を認識の範囲内に変換する能力が持てるヒトはこの現象の反物質的姿を創り出すことが出来るのではないでしょうか。