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歩け歩け

往復2時間歩きました。
ちょっと、趣旨とは異なるかもしれないが
地元の一番大きな神社へ。
ここは城址でもあるので、お堀と石垣があります。元々平城(ひらじろ)なので、楼閣跡などの派手なものはありません。
メインの御祭神は藩始祖と藩主。 
そして護国神社と天満宮。

民間信仰の神社なのかなぁと思いつつも、私が考えてラチがあく問題でもないので行った。

地元のお城は戊辰戦争で焼かれた過去がある。
島津藩からお輿入れした姫様がおられます。
全部書くと棲家がバレてしまふ。

二十八番 藩始祖 十一代藩主拝礼後
五十七番 護国神社 天満宮 拝礼後

藩始祖拝礼後と護国神社と天満宮の拝礼後の御神籤は、ニュアンス的に同じ方向なのかな?
自分的には五十八番だろうなと思っておりますが。これが神様の回答かな。

護国神社にお祀りされている方は、戦死者の方々。命を賭して国を護って下さった方々への御礼と安らかなる眠り、そして彼らの光の方向への神様の導きを願うため、気持ちを切り替えて、丁寧にお祈りさせて頂きました。 

何故か、護国神社への祈りの最中にポロポロ涙が出てくるんですよ。

特段身内には戦死者はおりませんが、今のこの時代があるのは、国を護るためと戦へ向かった人々がいるからで。
国のためとは言いつつも、言挙げせずにその想いを内に秘めて散った命もあるでしょう。
某思想な方面の思考の方からは、一方的に悪様に言われる事が多いですが。しかし、意見が違えど物事は多角的に見るべきだと私は思う。

天満宮は旧領の秋田時代から尊崇されていた氏神様との解説ありで、現在のお祭りも天満宮祭典が根幹。

実は地元のお殿様
出羽国(角館)から常陸国(茨城県高萩市)へ移りその後…現在地へ。地元は茨城県との縁があるのですわ。

今朝の視力。
更に後ろへ下がっての認識おっけい。
ちょびっと回復したのが分かる。
後方へ足一つ分。

明日はお天気な予報。
ムフフ。

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