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37歳、内視鏡からの緊急入院。2

私は手術するまでは月曜日から金曜日まで朝の9時から18時まで働いていました
働き過ぎたから癌になったんだよ!
母にそう言われましたが、私は息子と2人暮らし
絶対私が息子を育てるんだ、立派に育てなきゃって意気込んでいました
働く他にどんな選択があったのだろう
私は働いて癌になったと言われても自分の人生に悔いはありません
今の自分が大好きだから、中も外も大好きです
昔の私はフラフラしていて、何がしたいのか、何も持っていない自分に怖くなって離婚しました
何も築いて来れなかったのです
自分の関係も、夫との関係、ご近所、息子との関係すら向き合えていませんでした

そんな私に神様が助言してくれたように感じた父の死
自分のやりたいようにしなさい
と言ってくれた父の言葉は、私は離婚しなきゃ!!でした
今思うとホント私はヘンテコリンだなと思います、父はそんなつもりでいったわけじゃないと思います、でもこんな自分を私は愛したい

そう思えたのは、慶應義塾大学病院に入院して
s先生や看護師さん、毎日お掃除しにきてくれるお爺さん、レントゲン技師さん、沢山の人々に愛を頂いたからです

初めて慶應義塾大学病院に受診した時の事は今でも覚えています
広過ぎて迷って、朝の7時に家を出て病院が終わるのは17時過ぎです、殆ど患者さんはいなくて1人ソワソワしながら色んな検査場所に走り回りました
走らないと間に合わないのです、ある意味楽しかった、頭の中はクエッションマークでいっぱいです
(この時私の走り方は変です、癌の存在で重たいお腹を揺らせない心境で手でお腹を抑えながら滑るように走ります)

s先生のお陰で私は初めて慶應義塾大学病院に受診して3日後に入院になります
理由は癌が大きくなり今にも大腸が破裂しそうだからです

入院の日、入院しても私は相変わらずです
病室にじっとしていられずラウンジにいます

絶景の景色でお気に入りです

入院してもしばらくの間手術はありません、なんせデータが何も無いのと、遺伝子の病気からの癌だからです
先生方は一生懸命考えていた事が伺えます
データが無いのは私自身もわかっていましたが、入院当日新米先生からの入院についての説明で面白くて新米先生と2人で爆笑してしまいました

初めましてと挨拶をして
「、、えーと、あの実は何もデータが無くてどうして入院になったのか教えていただけますか?、、」
すいませんと謝る先生に私は肩の力が抜けました
今までの先生は気難しいイメージで私は緊張していました
私は「実は私もよくわかっていないのですが、大腸に癌が見つかって」

説明しながらも、せめてs先生からの情報はあるだろうと思ったら、「因みに誰先生ですかね、、?」と新米先生は言います
もう私は面白くて笑ってしまっても新米先生はホントすいません、、と言います
緊張していた私はこの時何とかうまく入院生活ができそうだなと感じ安心しました

s先生とはまだ2回しか話したことが無くどんな先生かわからないけど不器用な先生なのかなと私はクスッと笑顔になりました

退院したら直ぐに仕事に復帰するつもりで
朝6時に起きて病院内を散歩
8時に朝ごはんを食べたらお昼ご飯までラウンジで勉強をして
12時お昼ご飯を食べたらまたラウンジで勉強
3時のおやつ
またラウンジで勉強して
4時には下に降りて良いので夜ご飯まで病院内を散歩して
18時ご飯を食べたらシャワーに入り
19時には爆睡していました

19時に先生が巡回で来ますが私は爆睡しているので全く話ていません
s先生は優しい先生なのか、朝病室にいない私を探しにラウンジに来ますがs先生は私に話しかけません、遠くで様子を見守っています
ホント不思議な先生で私は大好きです

私この時現実を知るのが怖かったんです
仕事に戻れなかったらどうしよう
その気持ちを隠すように手術前日まで慌ただしく過ごしました
何もなかったかのように終わりたくて

次は手術のお話しをしたいと思います
今日も読んでいただきましてありがとうございました^ - ^

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