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網膜剥離は突然に⑤惚れるぜ!再生力。


*見え方に変化、からの


"視界ネタ"にしよう、今日は。
こうして毎日noteを書けるのも
見えるからだなぁ…と感謝できるようになったのもある意味剥離したおかげだ。

目って有り難いことにふたつあるからね。右が見えなくても左の頑張りでなんとか生活はしていける。
見え方の変化は考え方の変化に…。

*大事なものって、ふたつ


昔小学校で先生が「大事なことだから2回言います」って言ってたけれど
とにかく
目ん玉にしろ、〇玉にしろ…ひとつ欠けても生きていけるっちゃ生きていけるけど、やっぱりひとつが元気をなくしてしまうと、習慣のせいで苦痛が生じる。片方の弱りをもう片方が助けようとするからか、疲労度も半端なくて。
早く元に戻らないかなぁと悶々とした日々だけど、とにかくふたつあって良かったのだ。
だが、こんな時こそ自分の細胞の再生力を期待しつつ、肌で(目で)変化を実感出来る幸いがあると気づいた。
50代ともなると、ただ老化していく自分に萎えるけど、こういうことがあると自分の再生力を気づかせてもらえるのでね。

*視界にまさかの…


眼帯を手術翌日外し、
目に透明ゼリーが載ったような
不思議な視野の日々が数日続いたと思ったら、視界下部にグレーの丸いターゲットが見え始めた。ターミネーターにでもなったかとニヤニヤ。
的の丸いマークが出てきたから。スコープ視界に何らかのコマンドデータが表示されたら面白いのにと思ったら、その丸はじわじわと小さくなって17日目の朝に突然消滅。

そうなると全体的に視界は眩しく明るいのだが、穴を塞いだせいで
網膜に歪みがあるためか、外歩きが妙に怖い。
道が波打って見えるからだ。
今しているメガネは度が合わなくなり、じっくりモノを見る時は右目をつぶるしかない。ウインクがだいぶ上達した。
とにかく左目に頑張ってもらって生きる日々。

そして24日目。
目薬の種類が4種から3種へ。
視界は歪んだままだけど、薬の減りは回復と捉えて前向きに。

それにしても自分の細胞。
本当に良く頑張ってくれてるなぁ。
こんなことでもなかったら
自分の身体をここまで誇らしく
有り難く思えなかった気がするんだ。

*通院間隔が


週一通院も徐々に間隔が長くなり
1ヵ月を過ぎると、月一通院に。
手術した先生曰く、もう治療することはなく安定化を待つのみ、と。
何かあったらご近所の医師に相談できるように、資料一式を持たせてくださり、元来の眼科医を来訪しつつ
セルフ治癒に専念した。
通院を含めて大変なのは術後の1ヵ月だと思う。

とにかくこすったり
刺激を与えることは絶対禁止。コンタクトも水も絶対目に入れないで
とことん保護に努め、もし風呂などで水が入ってしまったら消毒目薬をすぐに点眼せよ、と指示。

ついでに花粉期間は注意がわんさかだった。異物混入を避けるためのあらゆる手を尽くせ、って。
花粉期間に網膜剥離にかかっちゃダメってことかもな。だけど花粉の痒みはしみる目薬のおかげでだいぶ緩和されて…何事も一長一短あるもんだ。


*やっと飛行機に!


バレンタインデーに手術をし
東京の桜が咲き乱れる頃
やっと搭乗許可がおりた。
術後目にガスを入れていたので、
飛行機に乗ってしまうと目が爆発するからまだまだ待つべし、と待ち焦がれて約2ヵ月。

右目の回復状態は、周りの全てがガウディの建築の如く丸みをおびた生き物のように見える。
歪みは多々あれども、やはり見えることは幸せなのだ!と、許可が出たこのタイミングで頑張った自分の目に、弘前城の桜を見せてあげたくなった。
速攻でチケットを予約をし、羽田から青森空港に飛べた喜びもさることながら、この桜の景色にもう…

言葉に出来ない。


もし不運にも網膜剥離と診断され
手術をして半分仮面ライダーで途方に暮れることになってしまっても、
回復途中に何かしらの楽しみがあれば…と書きました。
半年でコンタクトを入れる許可もおり、普段の生活に戻りました。視界の歪みは心の目で直しながら、とにかく日々を楽しもうと…。

ご質問などがございましたらどうぞお気軽にコメントをくださいませ。

ここまで長々とお読みくださり感謝です。目、おつかれ!とご自愛くださいね。

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