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義務教育で学ぶ不必要な教科とは
「2次関数ってどこで使うの?」
中学生を経験したみなさんなら、1度は思ったことがあるでしょう。
グラフをかき、式をたて、面積を求める……なぜこのようなことをしなければならないのでしょうか?
勉強が本業だと言われ続け、いつか役に立つと言われ続け、いざ大人になってみるとこれといって活躍した場面はなかったと思います。
今回、この文章では、「義務教育のあり方」や、「義務教育に必要な知識」を記していこうと思います。
義務教育のあり方
そもそも義務教育とは、国民に義務付けられた、受けなければならない教育のことです。義務付けられるというほどですから、この先社会人となり生きていくうえで必要な知識を学ぶべきだと考えます。あるいは、人として知っておくべき一般常識だとも考えられます。
社会の一員として働く術を身につけるために、義務教育というものはあるべきなのではないでしょうか?
義務教育に必要な知識とは
義務教育のあり方を踏まえたうえで、これから僕なりの義務教育に必要な知識、教科を選別していこうと思います。
数学の必要性
まずは数学の必要性について見ていこうと思います。小学校で習う範囲は、四則演算や分数小数の性質、さまざまな単位などが挙げられます。
これに関しては生活で使う場面が多く、いわゆる一般常識と呼ばれるものに該当すると思います。
小学生が学ぶ数学、いわば算数は義務教育になくてはならないものだと考えます。
では中学校で学ぶ義務教育はどうでしょうか?1次方程式や2次関数、図形の合同証明や場合の数などが挙げられます。
僕の意見は、数学で学ぶことは、ある観点から見て必要不必要がわけられるのではないか、ということです。
その観点とは「実践的な生活に置き換えられる問題をつくれるかどうか」というものです。
例えば、以下のような問題があったとしましょう。
「地域の子ども会では27人の子どもが参加する。その子どもたち全員に、キャンディもしくはクッキーを1つずつ配る。キャンディの値段は1つ50円、クッキーの値段は1つ80円である。予算として1500円が用意されたのですべて使い切りたい。この際、キャンディとクッキーはそれぞれいくつずつ買えばよいか?」
この問題は、中学2年生で習う連立方程式と呼ばれるものです。キャンディをx個、クッキーをy個買うと文字で置けば、すぐに式を立てることができます。
x + y = 27
50x + 80y = 1500
この式を解いてみると、x=22,y=5と求めることができました。
このように実践で使えるような分野は、義務教育で学ぶべきだと考えます。
一方で、このような問題はどうでしょう。
「y=x²とy=5x+3の共有点を求めなさい」
これは中学3年生で習う2次関数の分野となります。2つの関数のそれぞれのyが等しくなるようなxを求める……という解法ですが、これは実生活で役立つことはあるのでしょうか?
そもそも2次関数のような規則的に値が変化するものなどは見当がつきません。実生活へ取り入れるには無理のある分野といえます。
このように数学には、実生活に置き換えられる分野と置き換えられない分野が存在します。
今後使うことのない分野を勉強する意義がないと僕は考えます。
国語の必要性
次は国語の必要性について考えようと思います。
国語で学ぶものは、「文学的文章」「説明的文章」「古文」「漢文」「文法」「漢字」「語句」にわけられます。
「文学的文章」「説明的文章」
この2つに関してはどちらも読解というものがゴールになってきます。この力は将来どの職業に就くとしても必要な能力なのではないでしょうか?
例えば、「この資料は一体なにを目的とした文章なのか」というような文章の本質を見抜ける力を養うことができます。
「古文」「漢文」
端的にいうと必要ではないと思います。理由は言うまでもなく、実生活や社会人生活に置き換えることができないからです。昔の文章を嗜むという点においては必要かもしれませんが、義務教育に組み込むレベルではないと思われます。
「文法」
助動詞、独立語、単語の区切り方など。
僕たちが日本語を話すうえで、それらを意識して話したことがあったでしょうか?
それを極めたことで文章力が格段にあがったとなれば話は変わってきますが、到底そう思うことはできません。
ただ文法の中に1つだけ、重要な単元があります。
「敬語」です。目上の人や、社会人としてのマナー。相手に失礼のないよう言葉に気を配ることは、ぜひとも義務教育に必要な分野だと思います。
「漢字」「語句」
国語で最も重要な単元といっても過言ではありません。日本語を話すしたり書いたりするうえで、言葉や文字を知るということは当たり前に大切です。
たとえば、
「私は友とお互いに高めあい、最大のライバルとして共に歩んできました」
「私は友と切磋琢磨してきました」
という2つの文章。どちらも同じ意味ですが、時と場合によって使い分けることで印象の違いがうまれます。
具体化と抽象化を、言葉を知ることで切り替えができるのです。
話は遡りますが、「漢文」というテーマについて僕は必要ではないと記しました。しかし、たとえば温故知新という故事成語は、漢文からうまれた語句です。意味の理解を手助けする、という点においては漢文を学ぶ意義とあると思います。
この国語という教科も、単元分野によって必要不必要がわけられると考えられます。
理科の必要性
次は、理系の人なら避けては通れない理科についてです。
みなさんももうわかるとは思いますが、たいていの理科の知識は他でいかされることはありません。
生物の進化の仕方について、天体の動きについて、化石の情報について……など、小学生で習う一般常識を除き、これといった義務教育で学ばなければならないような専門的な知識はありません。
しかし、1つだけ命に関わる分野があります。
「化学」です。
洗剤を買った際に、「混ぜるな危険」という文を見たことがあるでしょうか?よく挙げられる例としては、塩素系の漂白剤と酸性の洗剤を混ぜてはいけないというものです。この2つを混ぜてしまうと、非常に毒性の強い塩素ガスが発生します。
この塩素ガスがなぜ人体に有害なのか、どうして発生してしまうのかなど、化学の分野は義務教育に不可欠な分野だと考えられます。
社会の必要性
4つ目に紹介するのは社会です。義務教育で学ぶ社会は主に「地理」「歴史」「公民」の3種類にわけられます。
「地理」
日本の特産や世界の国々の位置関係。
これについては学ぶべきなのではないでしょうか?地理に関しては実生活に必要かどうかではなく、一般常識として知っておくべきだと思います。
「歴史」
縄文時代の人々の特徴、戦国時代の戦の名前、日本史については、まったくもって必要のない知識の詰め合わせだと考えています。義務教育で学ぶべきものではありません。
ただし世界史は別です。8月6日、8月9日に、広島と長崎に原爆が落とされたということは、二度と戦争をしてはいけないという戒めとして必要な、日本人として知っておくべき大切な知識です。
僕が最初に挙げた、義務教育のあり方の2つ目に該当するものです。実生活で必要というわけではありませんが、常識として必要な知識なのではないでしょうか?
「公民」
言わずもがな社会の最重要単元です。社会保障制度のしくみや、財政のはたらきなど、社会人として最もいかされる分野だと思います。
どの職業に就く人でも、日本の政治というのは頭に入れておくべきことだと考えます。
英語の必要生
今現在日本という国に限らず世界各国は、それぞれつながりを強め、より一層グローバル化を目指しています。
グローバル化が進むということはさまざまな人と関わりを持つこととなりますが、その際生じるのは言語の壁です。
分業し、各国の得意分野をいかし社会や経済をまわすには協力が必要となるなか、言葉が通じなければどうしようもありません。
つまり、英語の学習は必要不可欠となっています。
しかしどうでしょう、社会人の中で英語を使い、他国籍の人々と会話ができる人はどれくらいいるのでしょうか?
みな義務教育を経ているはずなのにまともに会話ができない。それはなぜか?
今の日本の英語教育が実用的でない、ということです。
実際今の日本の英語力ランキングでは圧倒的に下位に位置しており、アジア内の順位も下から数えたほうがはやい順位となっています。
英語の学習は義務教育に必要なことは間違いないですが、今の英語の教育法を変えない限り、それは意味のないものへと変化するわけです。
まとめ
今回は、義務教育に必要な教科を主に主要教科に重点をおいて書きました。それぞれの教科にはそれぞれ必要な分野もあるが、それ以上に不必要な要素が多すぎる、というのがこの記事のまとめとなります。
これからの日本の発展にも、義務教育を見直すことはとても大切なことなのではないでしょうか?