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Finifugal~新望ナカネの推理簿~
EP2 美で染めて~前~
掃除機の音が鳴る。それと微かな鼻歌。『戦場のメリークリスマス』だろうか。聞き覚えがある。
音が誘う方へ向かう。大きな扉。開く。
「お久しぶりです」見慣れた顔。掃除機が眠るように静まり返る。
奥からまた1人、誰かが走ってくる音が耳に入る。
「坂堂にい!」朝8時とは思えないほどに溌剌だ。
そう。坂堂大輔は今、新望邸に来ていた。
「お久しぶりです。黒菱さん」
黒菱旬華。新望邸のメイドである。新望はもちろん、坂堂も学生の頃からお世話になっている。
「グアムはどうでした?二か月でしたよね?」新望を無視し坂堂は黒菱との会話に花を咲かせる。
「すごく楽しかったですよ!でもお金を使いすぎちゃって。もうしばらくはどこにも行けないです。あっ、私がいない間、大輔君が色々とお嬢さまのお世話をしてくださったそうで。ありがとうございます」話すだけで品が溢れる黒菱。
「総監の指示なので」本心とは別の言葉を発したように見える。
「さぁ行くぞ」やっと坂堂が新望に口を向ける。
「はぁい」ふてくされたように、頬を膨らませる新望。
「寒くなってきたので、体調気を付けてくださいね」黒菱の温かい言葉が玄関へ向かう二人の背中を押す。
「はい。では行ってきます」坂堂がいつもより幾ばくか高いトーンで返事をする。
それを新望がにやけながら眺めていた。
11月27日 8時22分 六本木方面へと向かう車内
「坂堂にい。旬華ちゃんのこと好きでしょ?(笑)」揶揄うように新望が話しかける。
「黙って読め」坂堂が軽くあしらう。
新望の手元には事件資料。二日前に起こった六本木タワマン殺人事件(仮)の資料だ。
「残酷なもんだよね。どれだけ稼いでても死んじゃったら何にもならない。お金はあの世に持っていけない」
坂堂が言葉を返すことはなかった。
【事件詳細】
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11月25日 17時30分
六本木にある高級タワーマンション『プライムタワー』にて事件は起こった。17階に住む三宅佳乃(44歳)が自宅の寝室、ベッドにて遺体で発見された。現場に争った形跡はない。検視の結果、人体に害のある毒性の高い物質を過剰に摂取したことによる中毒死だと断定。毒の成分の特定はできていない。死亡推定時刻は、当日の9時20分~12時頃と推定。警察は事件と事故、二つの線で捜査している。
被害者三宅佳乃は、超高級コスメブランド『Bellezza Effimera』を経営しており、若者からの人気も絶大である。業界での力もすさまじく大きかった。
第一発見者は、川原田颯(23歳)。三宅の第一秘書である。
当時部屋には鍵がかかっており、川原田が持っていたスペアキーを利用し玄関を開けた。
坂堂が車を止める。プライムタワー到着だ。
11月27日 8時29分 プライムタワー
エントランスに入り、管理人と警備に警察手帳を見せる。もう相手方も慣れたものだろう。すんなりと通される。
「これ事故じゃないの?」長いエレベーターの中で新望が問う。
「まだ俺たちもはっきりとはわかってない。ただ毒殺したのなら毒がどこかにあるはずなんだ」
「三宅さんの部屋に入ることができるのは?」『チーン』新望の言葉と同時にエレベーターが17階へ到着。
「入ることができるのは、スペアキーを渡されてた第一秘書の川原田と第二秘書の後藤だけ」
「後藤?」新望にはまだ知らされてなかった。
と坂堂も思い「後藤雅。川原田と同じ23歳。三宅が死亡する前、最後に一緒にいた人物だ」
「ならその人怪しくない?」
「だが後藤は、三宅とエレベーターホールを最後に分かれてる。つまり部屋まではついて行ってない」
「ほぅ」わかっているのかいないのか新望の返事が空回る。
「お疲れ様です!」事件現場に立つ警察官に軽く会釈をし二人は黄色いテープをくぐった。
「ここが三宅の自宅だ」そう言った坂堂だがもう横に新望の姿はなかった。
「広いねー」別の部屋から声が聞こえる。
高級タワマン。部屋数も一部屋の広さもかなり充実している。海外ブランドのソファ。大きな冷蔵庫、多機能な電子レンジ、スクリーンのようなテレビとテレビラック、洋風のダイニングテーブルとチェアー、そして女の夢で溢れたドレッサー。これも海外のだろう。見たことも聞いたこともないブランドだ。一番奥には、衣裳部屋ではなくコスメ部屋がある。モデルが衣裳で部屋を埋めるように、三宅は化粧品で部屋を埋めた。全ての物が完璧に、なんの狂いもなく配置されている。
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「はぁ」子供みたいにはしゃぐ新望に、坂堂はため息をつきながら、先ほどまで新望が読んでいた物とは別の事件資料を読み始める。
「三宅は10月24日から11月25日まで、取引先との会合や新店舗の立ち合いの為グアムへ行ってた」
「グアム!?」別部屋にいる新望がひょっこりと顔をのぞかせる。
「11月25日の朝7時30分頃、成田空港に到着。そこから後藤が運転する車で自宅へ。このマンションは一階の入り口と各フロアエレベーターホールにのみカメラが設置されているんだが、その入り口カメラに8時46分、一人で二つのキャリーを牽く後藤と三宅の姿が映されてる。そして17階エレベーターホールのカメラにも二人の姿が映されてたんだが、二人はそこで解散してる。後藤はそのまま帰ったんだ」部屋の探索に夢中の新望は聞いているのかわからない。
「後藤と別れた後、三宅は秘書二人に『今日はもうこのまま寝る』とメッセージを入れていた。その後、川原田宛に取引会社の社長から『三宅に会いたい』とメッセージが来たため、川原田が三宅に電話をかける。大体14時頃だ。しかしもちろん三宅は出ず、また17時過ぎに連絡を入れたが不在。不審に思った川原田が三宅を呼びにプライムタワーを訪れる。何度チャイムを押しても反応がなく、川原田がスペアキーを使いドアを開けると寝室のベッドにて死亡している三宅を発見。すぐに警察と救急を呼んだという」
ただ文字を読む坂堂。そこに一切の感情はない。
「警察がこれを事件だと断定できない理由は?」
痛いとこをつく新望。話はしっかり聞いていた。
「当時密室だったという点、毒物が見つかっていない点、入り口とエレベータホールのカメラに怪しい人物が写っていない点などなど」
坂堂が一切の間もなく答える。
「そっか」
何か考え事をしているのか、新望の返事は空っぽだ。
9時00分 麻布警察署へと向かう車内
「なにかおかしい」新望がつぶやく。
坂堂「何がだ?部屋か?」
新望「うん。三宅さんのお部屋。何かないような気がする。何か足りないような」
そうぶつぶつ何かを念じるように、徐ろにスマホを取り出す新望。
「みやけよしの」自らの文字の打ち込みに合わせ、三宅の名前をぽつりと出す。
検索結果には、ニュース記事ばかり。
『超人気コスメブランド社長死亡!』『超やり手女社長無念の死!』『魔女と呼ばれた女三宅、その死の真相は?』『社長の不審死。Bellezza Effimeraの株価大暴落‼』など言いたい放題だ。
そんな記事をかき分け、新望はある記事に目を止める。三年前のものだ。あるコスメ雑誌が三宅にインタビューした時の内容が、そこには綴られていた。
インタビュアー「三宅さんは、なぜコスメブランドを立ち上げようと思ったのですか?」
「綺麗になりたかったんです。私が、私の力で。人の作ったものじゃダメなんです。人が考えた"美"じゃダメなんです。人それぞれ名前があり、個性があり、強みや弱みがあるように、私には私の"美"があるんです」
Bellezza Effimera本社で行われたであろうインタビュー。真っ赤なイージーチェアーにもたれ、トゲトゲしい真っ青なハイヒールを履き、真っ赤なオットマンに足を落とす。写真一枚で分かる。魔女と云われる所以。
「三宅さんの、"美"の秘訣は何ですか?」
「自信です。自分を好きになることです。それが一番の化粧です。その結果、化粧が好きになるんです。自分を魅せることが好きになるんです。まずはそれが一番です。次に挙げるとしたら、肌を想い遣ることくらいかな。『思う』じゃダメなんです。『想う』じゃないと。肌が基礎なんです。画家は紙にもこだわるって言うでしょ。そのくらいです」
「ふーん」興味無さそうに新望が指を進める。
また別の記事。これもほぼ同時期。三年程前のものだ。
『魔女三宅、夜も魔女だった‼』『コスメ界の重鎮、性には抗えず!』『イケメン若人と、夜のメイク教室‼』
三宅の男遊びは業界でもかなり有名だ。遊び癖の悪さはいわずもがな、秘書すら一、二年おきに若い男に変えなきゃ気が済まない。
「あっ。だから二人とも23歳」記事を読んでいた新望がふと声に出す。
「23歳?なにが?」坂堂は運転に集中している。
新望「知ってた?三宅さんの男遊び。若い人が大好きらしいよ」
「あぁ。三宅を知ってる人ならだれでも知ってる」
ウインカーを出しながら坂堂が言う。
「へぇ」
新望のその返事は義務的に吐かれたものだった。
9時37分 麻布警察署休憩室
「事情聴取は10時からだ。少し休んどけ」そう言いながら坂堂は温かいお茶を出した。
「ありがとう坂堂にい」
新望はまだ事件資料を眺めていた。
10時00分 麻布警察署取調室
坂堂の前に座るのは後藤雅だった。魔女が好みそうな整った顔。滑り台のような鼻に、薄い唇。長い睫毛が彫り深の目をより目立たせている。
「正直私たち警察はまだ、事件なのか事故なのか確定できていません。失礼を承知でもう一度お聞きします。11月25日はどちらへ?」
「前にも言いましたが」
坂堂の問いに、後藤が少し煩わしそうに答える。
「当日は、社長をお送りして、エレベーターホールで別れました。その後は社用車を使って、まずは本社に戻りました。9時15分には着きました。そこから秘書室で少し作業をして、会社を出たのが11時30分くらいで、その日はコンビニでご飯を買って帰りました」
すでに聞いている内容と相違はない。
「では、三宅さんを憎んでいる人や恨んでいる人に心当たりは?」
「そんなの多すぎてわかりません。成功者には誰かしら敵が付くのは当たり前ですし、ほらあの人魔女って言われるくらいだから、かなりやり手なんで、競争に負けた人とかは憎んでるんじゃないですか?」
「そうですか。では三宅さんはどういう人でしたか?」
「厳しい人でした。いや厳しいといっても叱責したり怒鳴ったりとかはないです。ルールといいますか。それを絶対守るってのがルールでした」
「ルールを守るのがルール?ややこしいですね」
坂堂が調書を書きながらぼやく。
「例えばどんなルールが?」
「色々ありますが。水は絶対常温とか室内にいるときは窓は開けないとか。あとは私たちに課せられるルールもあって、筋トレは絶対に週三以上とかYシャツは1サイズ下のを着るとか」
「変態ですね」坂堂が心の声を漏らす。
「この場は取り調べの場です。なので嘘をつかずに答えてほしいのですが、正直体の関係はありましたか?」
踏み込んだ質問をする坂堂に少し気押させる後藤。
「ありませんでした」後藤の目はまっすぐ坂堂を見ていた。
「あの人は確かに若い男が好きです。多分僕だってあと一年もすれば捨てられる。でも何かさせられたりとかは特にないんです。あの人が前言ってました。『人は環境に依存する』って。日本で生まれた赤子を、アメリカに放置したら、その子の母語は英語になります。それと一緒で若い男に囲まれてるだけで、自分の若さを維持している気持ちだったんでしょう」
「なるほど」
坂堂の三宅に対する評価が少しだけ変わった。
10時17分 同場所
続いて川原田が椅子に座る。
後藤の線が細い体とは違い、しっかりとした筋肉で彼の体は覆われている。それに加えて難関大学の理系出身というエリートだ。後藤のような正統派イケメンではないが、しっかりとした体つきの中に、どこか知的さを感じさせる顔をしている。
「先日に引き続き、重複した質問がある可能性があります。あらかじめ承知願います」そう丁寧に話を始める坂堂。
「突然ですが、11月25日に何をしていたのか確認させていただいてよろしいですか?」
本当に突然事を切り出す坂堂に、川原田は何の躊躇もなく答える。
「当日は私のシフトでした。ご存じかと思いますが、私たちはシフト制で社長のお世話をしています。11月25日から28日までは自分でした。社長が日本に戻った日は、正午くらいまでは後藤のシフトでそのあとは自分でした。その日は特に何の用事もなく、9時15分ごろです。社長から『今日はもう寝る』というメッセージが来ました。そうなると自分も特に仕事がなくなります。午前は本社で仕事をしてました。途中で後藤も来て、11時30分ごろに帰ったので、自分も昼食にしようと、後藤が帰った30分後くらいに本社を出ました。自分も社長もお世話になっている『ル・デルファ』というイタリアンに顔を出して、マスターと話しながら食事をしてたらマスターが久しぶりに社長に会いたいと言い出したので、『多分寝てると思いますよ。でもマスターなら喜んで会ってくれるかも』なんて話して、社長に電話してみたんです。もちろん出なかったです。一時間ほどで、マスターに別れを告げて店を出ました。そこから近場のカフェで翌日の社長のスケジュールとかを見直してたら、取引先の方から『今日どうしても三宅社長に会いたい』と連絡が来たので、再び電話しました。14時過ぎくらいですね。それももちろん出なかったです。16時30分くらいには本社に戻って、そこからまた作業をして、17時過ぎにまた電話してみたんです。ですが出ることはなく、取引先の方もかなり待たせてるので怒られるのを承知で自宅に行きました。チャイムを鳴らしても応答がなく、仕方なくスペアキーで入ったんです。そしたらベッドで、、、」
「十分です。ありがとうございます」
川原田の話も聞いていたものと差異はなかった。
10時30分 麻布警察署休憩室
取り調べが終わった坂堂が新望の元へ来る。
「特に2人とも怪しくないけど」新望が告げる。
「そうだな。事故という線が濃厚か。ただ事故だとしたら、なぜ三宅は死んだんだ?毒物による中毒死。鑑識があらゆるものを調べたが特にそれらしきものは発見されていない」
坂堂が一息置いてまた話し出す。「とりあえず、二人は白とみていいな。どちらの証言にも変な点はなかった。三宅が死亡したとされる、9時15分から12時ごろまでは二人は本社にいた。本社のカメラと証人も十分いる」
「ねぇ、ホントに三宅さんのお部屋に入れるのはその二人だけなの?」
「警察が調べたところによるとそうだ」坂堂は事件資料を眺めている。
「事故だな。あとは鑑識の薬毒物検査の結果待ちだな」
そう言いながら休憩所を出ようとドアノブに手を伸ばした坂堂に、静電気が走る。
「いたっ!」少し大きな声が出てしまった。
「ふふっ」新望がその光景を微笑する。
と同時に「あっ‼」先ほどの坂堂の声より大きな声だ。
「なんだよ」声に驚いた坂堂が訊く。
「わかっちゃった。足りないもの。三宅さんのお部屋になかったもの」新望が急いで事件資料をめくる。
事件当時の三宅の部屋の写真。全部屋を様々な角度から写す。
「やっぱり変だ。あれがないのは」そうつぶやく新望。
「なにがだよ」焦らされるのが嫌いな坂堂は少しイラついている。
「坂堂にい。これ殺人かも」
新望の言葉に不意を突かれる坂堂。
「三宅さんが死亡してから発見されるまでの間に、三宅さんのお部屋に入った人が居るよ」
「念のため、私が言ったものを用意しておいて!」
そう放ち、新望はどこかへ走っていった。
11時13分 同場所
コーヒー片手に事件資料を眺める坂堂。今、坂堂は、全ての脳の思考回路を新望の言葉に邪魔されている。何も手につかない。事件資料を眺めているようで、実は何も見ていない。ただただボーっとする。(これは殺人?なぜ?なにで?誰が?どうやって?)
『ガチャン‼』
休憩室の扉が勢いよく開く。
「ここに居ましたか先輩!」
坂堂の後輩の峰宮仁だ。
「薬毒物鑑定の結果が出ました!」
完璧な密室。どこにもない凶器。尻尾すらつかめない犯人。
しかし、今全てが動き出そうとしていた。