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王さまの本棚 15冊目

『リリス』

G.マクドナルド作/荒俣宏訳/筑摩書房

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本棚の中ではここ。文庫本コーナーに無造作に突っ込まれているので、救出して北風のうしろの国の隣りに置きたい。いや、アルジャーノンもムーミンも好きではあるのだけれど、あ、正直にいうとムーミンはどれを読んだか覚えていないくらい記憶がおぼろげなのだけど……。

『リリス』こそ、その声や姿さえ読む人にとって千差万別、こんなに想像力を刺激されるキャラクターは他に見たことがない!という人物です。なにせマクドナルドの文章が映像的である上に、作中ですら姿を変えているのだから。そのため、100人が読めば100人のリリスの解釈が存在すると思う。そういう意味でははてしない物語や宮澤賢治みたいです。

『北風のうしろの国』と同じく全編を通した明確な筋書きはあまりなくて、幻想的な事象が通り過ぎていくばかりなのだけど、その事象たちがとてもうつくしくてかなしくて、夢とうつつ、死と生に翻弄され、頭がくらくらするような読書体験をしました。

わたしが絵本を自分で読むくらいの子どもだったころの好きだった遊びに、「お母さんの本棚から本を取り出して眺める」というのがあって、その中に、『リリス』の、同じ表紙の文庫がありました。
(あとは、タニス・リーとか、萩尾望都や山岸凉子が表紙だったSFとか、なんかいろいろあったけど覚えてないし読んでもいません残念)
大人の本は読んじゃダメと言われていて、わたしは『大人が望む子どもであらねばならない』という考え方にとらわれていた子どもだったので、すなおにそれを守っていました。えらいな、子どものわたし。

そのころはマクドナルドも荒俣宏も知らないし、表紙以外に知り得た情報は何もなかったけれど、オオカミと七ひきのこやぎでは安全の象徴だった柱時計が不気味であるさま、これが何とも言い様のない印象なのですが、ずっとずっと忘れられないまま、いつの間にか20数年も経って、手に取ったのが24歳ごろ、やっと読んだのが26歳になってから。

本を買ってもすぐ読まない、という悪しき習慣が出てきたのは、ここ20年ぐらいのことなのだけど、それを一般には積読といい、わたしは、「本を漬け物にする」と表現しています。
(一部では『オタクの老化』と言うそうな。ぐさりと刺さるわ、それ……)

とりあえず手元において、いつでも読める環境で、こころの準備をするだとか、環境を整えるだとか、そういう足踏みをしてから、ドボンと飛び込むようにして読む。そうすると、ふしぎと立場が自分と重なったり、年齢が一緒だったり、思い切りのめりこめるのです。
そうやって漬けあがりを見極めて読むのが好きです。

漬物蔵(※本棚)は常に収拾がつかない状態だけど、同じ本を何度も読みたいたちなので、その時その時の感じかたも違ったりして、熟成の具合を楽しんだりもしています。

そうして、20年間漬けこんだリリスは、たいへん美味しゅうございました。

下記noteのリライトです。おはずかしや。でもどっかで読んだでこれ、と思われる方もいらっしゃるかもですので……おはずかしや。

そして書き手のための変奏曲タグをつけるつもりだったのですが、過去作はあまりに拙く、こちらは作品としては書いていないのでやーんぴ!

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安野ニツカ
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