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加入したNetflixと閉店したTSUTAYAと読者によせて - たまにのエッセイ テレビとラジオ no.10

 家にNetflixがやってきた日はドキドキした。子犬を家族に迎い入れた時のような気持ちに近かった。金魚しか飼ったことないけど。初めて家のテレビ画面でドラマを再生した時、Nの文字が手前に向かってきてブブン・ヴァーンと鮮やかな線となって消えた。それだけで感動したのを覚えている。『ストレンジャー・シングス』『このサイテーな世界の終わり』『セックス・エデュケーション』『ノット・オーケー』あたりの作品を観て、Netflixのオリジナルドラマからは共通した「町の中でもがく10代の視点」があるような気がしている。土地があって、建物があって、人が行き交い大人がワーキャー言っている。その様子を俯瞰で見ている学生が各作品にいるようだった。ドラマの中で随所に出てくる町の風景は、ネオン管の可愛いゲーセンやプロムが開催される学校・自転車が雑に停められた国道沿いのレストランだったりする。僕からしたらとてもおしゃれに見える町でも、劇的なエピソードを駆け巡るティーンの彼らは時に悲観的な目で町を見ていて、僕たちの生活にもあるような不安や悩みも持っている。そしてそんな渦中でも、隣にいる友人や恋人が自分と同じ事を考えていたりすると胸の内で嬉しさを嚙みしめたりもする。

 そもそもそんなテイストの作品が多いとも知らず、おしゃれな世界観で描かれるドラマがみたくてNetflixへ加入した。その背景には家から徒歩3分のところにあった20年以上続くTSUTAYAが閉店したという出来事もある。1階は本の販売とレンタルCD、2階にはレンタルDVDの棚が並ぶ丁度いいサイズ感の店舗だった。そのTSUTAYAで大きな事件が起きたことは一度もない。5歳くらいの時に階段から堂本光一のごとく転げ落ちた事。小学生の頃は親がDVDを選んでいる間に関西ウォーカーとディズニーファンを立ち読みしてた事。中学生の時に親と喧嘩して家を飛び出し無駄に長時間DVDの棚を眺めに行った事。高校生になって深夜ドラマと宮藤官九郎のドラマを片っ端から借り倒した事。大学生になっても親にDVDを借りてくると言って店の前で好きな人と長電話してた事。ある日のレジで「今月で当店舗が閉店になります」とスタッフのお兄さんにさらっと言われてショックを受けた事。その言葉に「悲しいですね。」と言ったら「僕もね、悲しいんですよ〜」と素のテンションで返してくれた事。それくらいのエピソードしかない。それくらいなんだけど、それ以上のものがそこにはあった。自分の住む町がどうにも好きになれなかったけど、部屋数の少ないマンション暮らしの僕には、そのTSUTAYAが屋根裏部屋のようなちょっと特別な場所だった。

 ディスク1つ、再生ボタン1つでテレビ画面の中ではいつも刺激的なエピソードを追体験できる。心身がクタクタな時はとくに、人の気持ちに立って言葉を選ぶ事すらできないのに、過剰にテレビやラジオに胸を打たれてしまう。でも、結局のところ実際に肌で感じた出来事に勝る身に残るエピソードは作品の中にない。向き合うべき相手と共感したり対立したりして、小さなエピソードを作っていくことが、何かしらの種になる事に今更ながら気がつく。これを最後まで読んでくれたあなたに、「家の近所に好きな場所はあった?」って聞きたくなったりする。エッセイだけどな。

2020.6.3



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