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人間関係のキャパが狭すぎる



人付き合いが、それはそれは苦手である。

現実世界でも、ネットの世界でも。


人間関係についてのキャパがめちゃくちゃ狭い。狭いというのは、人数の上限が低いのと、好き嫌いの判定が厳しいということ。

前者の、「人数の上限」に関しては、特にネットで感じる場面が多い。
「顔が広い人」になれない。沢山の人と仲良くなれない。仲良くなれないどころか、知り合う事もできない。

顔が広い人は、どうやってそこに時間と精神のリソースを割いているんだろうとよく思うけれど、多分それは才能なのだと思うことにしている。
私には無い才能なので、時々とても羨ましい。

趣味でやっている音声配信で言うならば、好きでも嫌いでも無い人がいても、相当の興味が無いとその人の番組を聞けなかったりする。
とにかくキャパが狭くて、そこに割けるリソースが私にはないから。
申し訳ないけれど、自分の興味が強い方を優先してしまう。
こう書くと「それは至極当然だろう」と思われるかも知れないけれど、つまりそこで顔を広くすることが私にはできない。
交友関係が広がらない。友人はおろか知人もできない。

なので、“みんなが聞いていても私は聞いていない番組”は結構ある。


後者の、「好き嫌いの判定が厳しい」のも、中々に厄介である。

一回、その人の言動に嫌悪感を抱くと、「嫌い」「苦手」になってしまって、拒絶してしまうことがよくある。
Twitterで言えばミュートやブロック、ブロ解などをする。

好きな人の中に、嫌いが見え隠れする時がある。


この人のこういう考えが、こういう言い方が、こういうセンスが、こういう所が嫌い、と。

基本的にその人のことを好きだけれど、嫌いが見え隠れすると勝手にイラついたりする。
なんて心が狭いんだろう、と思い、自己嫌悪する。


私自身も日々確実に、そうやって嫌われていると思っているので
たまに、自分のことを棚に上げて何やってんだろうなぁって思ったりもするけれど
今後も私のキャパはせませまで、人付き合いが上手くできている(ように見える)人たちを妬みながら生きていくんだろうなと思う。



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