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【小説】リーチの先にあるものは①
「いっぱ~つ!」
「スパァーン!」
元気な発声とともに、勢いよく牌が卓上に叩きつけられる。その瞬間、周りの客が、声の主に目線を移す。
ドラ表示牌をめくると。そこには北の文字が、彼女が頭にしていた牌が、まさかの裏ドラになった。
「裏も乗っちゃったから~! 4000・8000ね~♪」
無邪気な笑顔が弾ける。まるで子どものような純粋な喜びを湛えながら、彼女は軽やかに告げた。
「くっそ~! もう、たまらねぇな……」
親かぶりをくらった対面のオジさんが、渋々と点棒を差し出す。その手つきには悔しさが滲んでいた。
「イッヒッヒッヒ♪」
独特の笑い声を響かせる彼女に、上家のお兄さんも苦笑しながら点棒を払う。
「今日もデス子は強ぇなぁ~」
【デス子】雀荘の常連たちは、彼女をそう呼んでいた。
圧倒的な強さで相手の点棒を刈り取る小悪魔――それが彼女の異名だった。
「さぁ、次行こう」
精算を終え、牌を手早く卓の中へと落とした。
「デス子さ~ん、お願いしま~す」
黒服の男性が声をかけると、彼女は軽やかな足取りで客の席へと向かう。
店の照明が、彼女の姿を美しく照らし出す。
黒のタイトドレスが、すらりとしたシルエットを際立たせていた。
「よっ!」
席に座ると、慣れた手つきでアイスペールから氷を取り出し、グラスに入れる。
ウイスキーと水を絶妙なバランスで注ぎ、くるりとステア。
出来上がった水割りを、客の前にあるコースターへそっと置いた。
「今日は、どうだったん?」
「ダメだ! 3万負けたよ……」
小さな不動産会社を経営するオジさんが、ため息混じりにグラスを傾ける。
「また負けたのかよ!」
デス子はくすくすと笑う。
彼女は雀荘から徒歩3分ほどの雑居ビルにあるキャバクラで、週2回働いていた。
客のほとんどは雀荘の常連たち。麻雀帰りにふらりと立ち寄り、彼女との時間を楽しんでいた。
「そういえば、明日の午後、多木隆秋がゲストで来るらしいな」
「JANリーグの人でしょ? みんなから『対戦してくれ』って言われてるよ」
「行くんだろ? 明日」
「う~ん、気が向いたらね」
「ダメだろ、ちゃんと来ないと……」
「じゃあ、なんか入れてもいい?」
ふっと微笑みながら、グラスの中の氷を指先で転がす。
「お、お前はなぁ……」
困ったように頭をかくオジさんをよそに、デス子はひらりと手を上げた。
「すいませ~ん♪」
スタッフに向けて、ボトルメニューのジェスチャーをする。
「鉄壁鉄強」
「麻雀エイリアン」
数多の称号を持ち、麻雀プロ界の頂点に君臨する男――多木隆秋(おおき たかあき)。
選ばれし者だけが戦う「JANリーグ」において、SHIBUMSの絶対的エース。
さらに、自ら設立したプロ団体「RMT」の代表も務めている。
彼の存在は、まさに麻雀界のドンだった。
「それそれそれ~! ロ~ン!」
モニターにキャラクターのカットインが入る。
その瞬間、多木の表情が固まった。
「げっ! マジかよっ~!!」
VTuberの女の子が、画面の向こうでゲラゲラと笑う。
「タカアキ弱ぇ~!」
「はい! もう多木隆秋……麻雀プロ、引退します!」
軽口を叩きながら、多木は苦笑いする。
配信を終え、疲れた身体をベッドに投げ出す。
「……疲れたぁー」
目蓋をこすりながら、ボソッと呟く。
節々が痛む。頭もぼんやりする。
けれど、それ以上に彼の心を占めるものがあった。
「あと、何年……こんなことを続けられるのかなぁ……」
長年、トップを走り続けた。
欲しいタイトルはすべて手に入れた。
それでも、彼にはまだ果たすべき使命が二つだけ残っている。
JANリーグ優勝。
そして……未来の麻雀界を託せる才能の発掘と育成。
天井を見つめながら、多木はそっと目を閉じる。
静寂の中、彼の思考は、まだ見ぬ"その誰か"へと向かっていた。