本当の「役割」について
突然ですが、
ヤングケアラーってご存知ですか。
厚生労働省のページから引っ張ってきました。
数ヶ月前に面接をする機会がありまして、
「最近興味を持ったことは何かありますか。」
という質問をされたので、
ヤングケアラーについて答えました。
聞かれそうだなと思っていた質問だったので、
何かないかとちょくちょく調べてはいました。
現在の私の職場は、ヤングケアラーと関係が無いようで実はちょっと繋がりがあったりします。
市役所、保健所、病院、介護施設、保育園、学校、、
細かいところに目を向けたらもっとあるのでしょうが、今ざっと上げただけでもこんなに“気づける場”があります。
ただただ書類上や表面上で関わっていても分からないのが、家の中のことですよね。
都合が悪いことがあれば隠したいと思うのが人間ですし、そうなると余計に周囲は当事者の辛さに気づきにくいです。
しかも、強い子ほど親からの頼まれ事を断れないし自分も頑張らなきゃと思う。
周りの子が羨ましくても言えないし、誰にも相談したくない。
親だって子どもを苦しめたくてやらせてるんじゃなく、この子がやってくれるならお願いしようと思っているのではないかと。
誰の悪意がなくともそれでよしとなってしまう怖さ。
支援とお手伝いは違います。
お手伝いから学ぶことはもちろんたくさんあるので良いことだと思います。
しかし家族の支えとして頼りすぎると、その子の未来のための時間・場面を奪ったり年相応の自由を奪ったりしてることが行き過ぎていることと気づかない。認識があったとしても生活に流されて薄れてしまう。お金や人出が足りないと余計に。家庭にいる大人が目先のことでいっぱいになっていると、いつでも起こりうることなんだと思います。
なので私は、そのような時にひと声かけて制度の利用を提案したり解決策を一緒に考えれる立場になりたい。と。
長くなりましたが、こんなことをかなりざっくりと印象が悪くないように言葉を選び(笑)、質問の答えとして話しました。
何の経験もありません、育児もしたことないので偉そうなことも言えません。
人様の家のことまで気にしなくていいと思う人ももちろんいるでしょう。
ただ、辛い人を助ける時、
経験より必要とされるものがありますし、
人様だからと引いていた線引きに一歩足を踏み込まなきゃないこともあると思うのです。
がんの方と話す時、いつも思っていました。
辛い。と言われた時に、辛いですよねと背中をさすりながら反復するだけでも一つの支えになると学んできたのでやってみるのですが、
吐き気も痛みもある中で、がんを経験したことがない私が反復するって嫌な気持ちにならないかな、と。
しかし今はもうその疑問もなくなりました。
何度も話をして、状態を理解している人からの「辛いですね」はちゃんと力を持っていました。
信頼関係が言葉に力を宿す。
教育現場や医療現場では特に必要とされるような気がします。
何でも話してもらえる人。
頼りにしてるって言ってもらえる人。
そんな人間になりたいです。
徐々に年末も近づいてきましたので、
振り返り、抱負なんかも考えていきたいです。
最後に、水谷緑さんという方のヤングケアラーをテーマにした漫画より。響いた場面を。
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