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譲る人


道を歩いていると、正面から人が来る。

普通、「よける」という感覚もないまま通りすぎれることが多い。

しかしながら私は、
「うわ、また私の方がぶつからないようによけた」「並んで歩くならさぁ、前から人来たらどうにか工夫せい」などという小言を結構心で呟いている。

あとは、通路塞いで井戸端会議してる人たちよ。
周り見ましょう。
通る側に「すみません」と言わせないでおくれ。
あの、ほんとに、迷惑です。

なんていうことをですね、
今日昼休みに感じたわけです。

慣れだとか、偉い人だからとか、本当に関係なくて、
マナーですよね。

この“気づく”“気づかない”の関係は、
他にもたくさんの場面で生じています。

そして場面が変われば、
私も“気づかない側”なのだということ。

私もどこかで誰かに何かを「譲って」もらっている。
それを当たり前の顔で、普通のことのように受け取っている。
悪気はないけれど、、

すぐ怒りを表出する人ほど語彙力がない
という法則と繋がっているような気もするんです。
例えば話し合いでヤキモキしている人がいるとして、そういう人は我れ先にこれでもかと自分の意見を言うと思うんですが、頭いい人ほどそれはしないし、賢ければ賢いほど人の話を聞きます。

待てない・譲れない人は、他人の出方も見ることができないし、口論の作戦も立てれないし、じゃんけんで早出しして負けるのと一緒だと思うんです。

それが道を譲ることに直結しているわけじゃないのですが、、
「一旦譲る」という行為には躊躇わない方がいいし、
優しさで譲ってもらった時には、譲ってくれた人は賢い人なのでしっかり感謝の言葉を言おう、ということです。

賢い人なので感謝を言う というのは、
あざとい〜と思われるかもしれませんが、あざとくても必要でしょう。上手くやっていくなら。

そして、その隠された優しさって気づきにくいんですよね。日常に染まりすぎていて。
だからせめて、日常的に言ってしまう「すみません」を「ありがとうございます」にする。
もう耳にタコなフレーズですけどね、
自分でたどり着いてみて身に沁みました。

お礼はもちろん全員に。

ただ、この人には!!と思う人にはもっともっと感謝をしていきたい。

そんな超人ほど、感謝されるためにやってるんじゃないよ〜なんてスタンスなんですけどね。

私もそうなりたい。


写真はKing Gnuの雨燦々です。
朝聴くと頑張れます。

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