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ソレは上から降ってきた。
ゆらゆらと太陽の光でピカピカさせながら、ゆっくりと落ちてきたのだ。
村人たちは、ソレが落ちてくるところに集まり、行き着くところまで見守っていた。
いつもは走り回ってジャレあう子どもたちも、噂話のおしゃべりに余念の無いおばちゃまたちも、みんな動きを止めて、ソレが砂の上で動きを止めるまで待っていた。
長老が、皆を代表して近づき、息を呑んで見守る皆の顔を眺めてから、一息入れて、意外と素早い動きでソレを持った。
金色に輝いていたので、何かすごく貴重なものだと思うのだが、横にしてみても、縦にしてみても、斜めにしてみても、ソレが何なのか、何のためのものなのか、誰にもわからなかった。

村の会議ではいろいろな話が上がった。
いつも空気の世界に上がっては、美味しい食べ物を持ってくるスカウトは、「これはいつも俺がいく場所で使えるやつだろうから持っていってみたい」と主張した。ほとんど自分で持ってきたものを食べてしまう、スカウトの話はいつも誰も聞かない。
時々やってくるクジラみたいな黒くて硬い乗り物に使うのではないか、と、周辺環境調査部の博士が言った。「けれども、その乗り物に近づくのは大変危険だから試してみることは難しいと思う。」

何度か会議の議題に上がったが、結局、今年のワカメの育ちについての報告や、ワカメを育てるための栄養素を振りかけるタイミング、ウミガメが産卵に行く前に立ち寄るお土産物の販売など、いつも話し合うべき議題がたんとあるもので、いつしか、ソレについての話し合われることはなくなってしまった。
ソレは、結局、長老の家の祭壇の上に飾られることになった。祭壇の上は、紙の入ったビンやら、シュノーケリングの空気チューブ、それから器のかけらなどが所狭しと並べられており、ソレはいつの間にか、他の物たちの中に埋もれてしまい、人々は忘れてしまった。

それから子供が大人になり、その子供ももまた大人になって、子供を産んで、という繰り返しが数十回起こった頃、長老の家の人の子どもの一人が、祭壇の山から一際キラキラと輝くソレを掘り出した。

そして、ソレをぱくっと呑み込んじゃったのだ。ちらりとそれを目の端で捉えていた子守のおばさんは、今やっていた丸い平たく焼いた魚パンを作るのに忙しくて、子供が呑み込んでしまったことを見なかった事にして、パン焼きを続けたのだ。

その子はそのままソレをお腹に入れたまま大きくなった。
特に何も問題はなかったみたいだ。
その子が大きくなって、長老になって、また時間が経って、そしてとうとうこの世を去るというときに、村の人たちはみんな吃驚した。

普通この村では、この世を去るときには、お迎えが来る。お迎えが何かは、家系ごとに決まっていて、長老の家では、伝統的にコククジラだった。
それなのに、コククジラは来なかった。代わりに、白い輪っかがぷかぷか浮いたものが来たのだ。普通は、お迎えが来たら、家族がそれに乗せなければならない。クジラの代わりに、輪っかが来たのだから、家族は大変面食らったが、葬式の場面では、何事があっても、平然としたフリをするものだ。喪主の長男も、あたかも当然そうするものかのように、ぷかぷか浮いている輪っかの中にお父さんを入れてみた。するとお父さんは、スルスルとそのワッカに吸い込まれていってしまったのだ。まあコククジラがお迎えに来た場合にも、コククジラに乗って何処かへ行ってしまうのだから、大して変わりはない。

さて、この世を去るようなつもりで輪っかに入れられたおじいさんは、シュルイシュルイと管の中を移動していったので、死んだらこんなものかなと思っていたのだが、プオンと飛び出たところが、これまであった水がなくなって、話に聞いたことがあったあの空気の国だったから驚いて腰を抜かしてしまった。さらにびっくりしたことには、体は小さくなり、赤ん坊になっていて、歩けなかったのだ。

さて、お腹の中のソレはどうなったかって?今も大事にお腹の中にしまわれていて、いつか故郷の水の星のことを思い出すのに使うんだってさ。お腹の中の鍵をあけると輪っかが出てくるんだよ。

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