nicoの星宙予報 2021 乙女座 ~ 一隅を照らし、目の前に最善を尽くす
アフガンのニュースを聞いてからというもの、まさに今こそ、太陽・乙女座の中村医師のような姿勢が必要なのだろうと思う。
中村医師はこんな言葉を残している。
日々不満があるかもしれない。うまくいかないことも多いだろう。もっとこうあったらいいという期待や願いもある。一向によくならない状況の中、やってられない気分になることもあるだろう。
そういったとき、ただ何もしないでいても世界は一向に良くはならない。たいしたことはできないかもしれない。けれど、ささやかながら「一つの片隅を照らすということ」くらいはできる。「できること」から逃れてしまったら、私たちはいったいどこに居場所があるというのだろう。
そういった視点で2021年乙女座期のイングレスチャートを見てみよう。
なんとシンプルなイングレスチャートだろう!
乙女座に太陽が移動した瞬間、ASC(アセンダント)は乙女座、そして乙女座の支配星である水星が火星と共にライジングしている。それに合わせ、6ハウスも強調している。
こうなれば、2021年乙女座期にやるべきことは二つ。
行動せよ! そして手を動かせ!
である。
いまや手に届かない理想論を語ったり、できない言い訳を並べてお茶を濁してる場合ではないということだ。とにかく行動を起こし、できることから手をつけていくしかない。そうチャートが訴えている。
座して得られるものなど、ここにはない。誰かがお膳立てしてくれることもないのだ。生き延びるための健全な意欲とそれに伴う行動、そしてひたすらに手を動かすことによって、個人/企業/国は、今の混沌を生き抜くことができるということだ。
強調されたASC(アセンダント)上の水星、火星に対し、カルミネートした天王星、アングル上の海王星がコンタクトをしている。天王星を「民意」として解釈したとき、今回、それがこのチャートを支配している、つまり、民意が社会的に大きな動きを作っていくと読むことができる。
たとえば、8/22の横浜市長選での結果が菅政権に大きなダメージを与えた。それを受けて、自民党が生き抜くためにはどのような真摯な努力ができるだろうか。
単なる自分たちのエゴむき出しな生き残りではなく、「民意」を受け止め、どう健全な意欲と行動を取り、未来のための対策を打ち出せるかが重要だ。
これを個人の乙女座期の過ごし方に当てはめて考えてみよう。
本人も気づいているであろう周囲の期待や要求がある。それを無視し、自分のやりたいことだけをやることだってできる。でも、この乙女座期は、自分自身が「既にやらなければいけないことはわかっている」「どんなことを求められているかは薄々気づいている」ことにどれだけ意識を向け、そのための行動と技術提供ができるか、それがとても重要なテーマとなる。
なぜなら、人の言動だと思っていることは、実は自分の恐れや欲求の投影であること、人の声を借りて、自分を真の欲求へと駆り立てることができること、だからこそ、周囲の声に真摯に耳を傾け、今こそ、「本当にやるべきこと」に向けて自分を推し進めていく。そのようにして天王星、海王星というトランスサタニアンの働きをうまく利用することが有効だといえる。
哲学者のカール・ヤスパースが言うように、乙女座期は他者の存在を大いに利用し、自己をうまく確立してみてはどうだろうか。
実は、7/30からスタートした火星乙女座期のイングレスチャートも、1ハウスに火星が入室しているのが特徴的だった。
生きることに真摯に向き合わなければいけない時期だというのはもちろん、それだけではなく、1ハウス=火星は、新しい自己を獲得するために思い切ったチャレンジをすることを促してもくれている。
コロナの感染者は子供たちにも広がりを見せ、今後の対策も不透明なまま。タリバン政権が誕生するのは時間の問題となったアフガニスタンでは、米軍撤収宣言と同時に中国とタリバンが急接近している。もしかしたら、中国が世界の動向を握ることもあり得る話となってきた。党首の人選も含め、自民党もいよいよ本気で腰を上げなければいけなくなっている。
もうこうなったら、これまでのサイクルをいったん見直し、新しい像を作り出すような、そんなフレッシュな動きがあってもいい。
個人も同様に、いったん仕切り直してみよう。
なぜなら、そろそろぼんやりもしていられなくなった、いよいよ新しい自己像を生きてみたくなった、自分の実力を試し、技術を楽しみ、自分をもっと環境に役立ててみたくなった、そんな気分なはずなのだ。
2021年の乙女座期は、新たな気持ちで自己像を見直してみること。その際、何もかもやる必要はない。ほんの片隅、一隅だけを照らせればいいのだ。そして「自分の身の回り、出会った人、出会った出来事の中で、人として最善を尽く」しながら、自分をもっと試していく。そのような流れを意識して過ごしてみてもらいたい。