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This is us

いい日曜日を過ごした。


演劇のワークショップにて3月に一緒に舞台に立った友だちと再会したり、また新たな繋がりができたり。

表現者としてのわたしって何だろうと考えたり。
いわきで演劇ができることが純粋に嬉しかったり。
自分の芝居の限界みたいなものを少し感じて勝手に凹んだり。

WS中は表現して考えての繰り返しだったけど、終了したあとはしばらくみんなでたわいもない話をしてみたり。
実はこのたわいもない会話をしている時が1番愛おしい時間だったり。笑

ここまでの文章、圧倒的に「り」が多いのは置いといてください。り。


3月の公演終了後、
当たり前だけどみんなそれぞれの生活に戻り
進んだり立ち止まったりしていて
楽しいことがある人も悲しみに暮れる人もいて
「うん、みんなちゃんと生きてるな」って確認できたのがなんだかとても嬉しかった。

わたしも新しい面白いことを面白い大人と計画したり、流れに身を委ねるように新しい企画に参加しながらわたしを生きていて

あーあと数日で24歳になるんだなとか

夏は蚊に刺されるのが嫌だなとか

家の隣の田んぼからカエルの声が聴こえるのが心地いいなとか


色々なことに思いを馳せることが最近はとても多くなって、自分の周りにあるものに目を向けられる今はなんとなく自分に余裕がある時期なんだと思う。

余裕があるから何でもかんでもやるんじゃなくて
少しは余白を残しておきたい気持ちがあって
余白を楽しむ生き方は4年前に岩手でシェアハウスしてた時に教わった大切な考えなんだなって今ものすごく実感してる。

余白があるだけでいつでも一息つけるからね。

私は一緒に過ごす人達に「太陽みたい」とか「陽の人間」って言ってもらうことが多くて、
でも自分ではよく分からなくてイマイチしっくり来なくてモヤモヤしてた。

わたしの中にも陰の部分は勿論あって、それが外側にうまく出せずに自分の中で何とか消化してしまうことが多い。


陰のわたしが悪いとかではなく、そんな一面があるから外側で陽のわたしがより輝けるというか
そう思うと自分の全てに愛着が持てそうだなとか。



多分そう思えたのは最近見終えたThis is usという海外のドラマが大いに影響していると思う。笑


わたしたちには幸せなことだけがやって来るわけでもなく、辛いことも難しく感じることもムカつくこともとても多くてそれでも人はそのうち勝手に幸せを感じて、

そんな風に一人一人の人生をよりリアルに描いた物語は視聴者であるわたしの人生すら肯定してくれた。

どんなに酸っぱいレモンでも
レモネードを作ることができる。
(This is usシーズン1-1話より)

↑ドラマを見るとより理解出来る素敵な台詞



わたしたちは眠って起きて生活して
今日を生きて
それを繰り返して
また明日を生きていく。


今どんな状態でもこれがわたしであって
わたしたちであって
わたしたちはいつだって何かを抱えて生きてる。

だからこそ一緒に楽しい時間を過ごした人達が

一緒に夜ご飯を食べた彼女たちが

私の好きな人たちが

そしてわたし自身が

くだらないことで沢山笑って過ごせますように。


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