
serial experiments lain から実存主義へ
※書きなぐりです, 妄言です, 誤りを多く含みます, 異邦人も変身もそんなに読んでいません, あくまでも現段階での理解をまとめた雑記です
1. はじめに - 要約
serial experiments lain(以下 lain と略します)は疎外感を感じるから実存主義っぽい作品に感じました。個人的に実存主義の作品は他者から隔絶された世界感を提供してくれて、その世界観が神秘的に感じて引き込まれます。その空想の世界で起こる不条理は現実に起こりうることは稀であり、それについて考えてもあまり得られることはないのではいのかなという気はしました。ただ周囲の人間関係が煩わしいなと感じている人にとっては一時的なカルタシスを得られるかもしれないように感じました。
2. なんで lain が実存主義っぽく感じるのだろう?
lain はなんだかカミュの異邦人やカフカの変身のような実存主義っぽい作品だなと感じました。なんで実存主義っぽいって感じるんだろう?って思ったのですが、これら3作品に共通するのは主人公がマズローの欲求5段階説で言うところの生理的欲求と安全の欲求が満たされている中で社会的欲求が満たされていないからなのかなと感じました。読んでいてとても周囲からの疎外感を感じるんですよね。生きる意味はあるのか?を見出そうとしているように感じました。
過去に lain を実存主義っぽいなと感じる方はほかにもいたようで Google で「serial experiments lain 実存主義」で検索するとほかにも記事が見当たります。またアンサイクロペディアで以下のように揶揄されているのを発見しました。
「すごく深い話だったよ!これは実存主義の話なんだ」
先述の者より少し頭よさそうに見えて、実際は輪をかけてバカな人間の典型的な例である。 人間知ったかぶりをすると、だいたいこういう喋り方になってしまう。
3. エヴァンゲリオンと lain の違いはなに?
社会的欲求
serial experiments lain
カミュの異邦人
カフカの変身
承認欲求
エヴァンゲリオン
生きる意味ということで言えばエヴァンゲリオンもテーマとして扱っていたのかなと思うのですが、実存主義という感じ方がしませんでした。なぜなのかなと思った時に、おそらく lain のテーマが社会的欲求なのに対してエヴァンゲリオンのテーマは承認欲求だったからなのかなと思いました。エヴァンゲリオンで取り上げられるヤマアラシのジレンマであったりエヴァに乗らない自分に価値はあるのか?などの問題には他者が存在しています。lain はそもそも他者との関係がどんどん希薄になっていきます。カミュの異邦人やカフカの変身は希薄という訳ではないのですがなんだか会話が噛み合わなくて違和感、疎外感を感じました。
4. なんで lain, 変身, 異邦人 は面白いんだろう?
人とのコミュニケーションがストレスになる陰キャの人にとっては以下のようなメリットがあるのではないのか?
他者と距離を取れるというカルタシスがあるのではないのか?
疎外感を持ち込むと神秘的な感じになる、それが人を惹きつけるのではないのか?
その神秘さが生きることそれ自体に意味があるかもしれないという実感, 誤解, 錯覚を生んでしまったのではないのか?
不条理について考えたい、人生の生きる意味が実存するのか考えたい。でも小説としての面白さをもとめつつかつ不快感は抑えたいって思うと、この辺に落ち着くのかなみたいな気がしました。他者からの隔絶という意味では絶海の孤島で一人ぼっちになるみたいな設定もあるとは思うのですが、それだと神秘さ, 難解さみたいなのが無くなるのかなと。
「テレ東の新しいアニメの主題歌なんですが書きますか?」と詞を依頼されて、「難しくしてね」とだけ言われて、特に悩まずに『残酷な天使のテーゼ』という変なタイトルの詞を書いて、あれから約30年。
先日も某番組が「残テの歌詞には特に意味がない、でいいですよね?」と聞いてきたので、意味のない詞は書かん!と説明を入れた長いメールを返したら「番組の尺の都合でその話はなくなりました」との返事。
でも未だにエヴァ観てない。ごめん。
アニメは見てないけど文章でシナリオの概要を読んでるみたいな感じなんですかね?🤔
不快感の没入感はなく外側から動物園の猿が苦しむのを楽しむ、観察するという意味である意味貴族的な作品だなって思った... 哲学ってそういうところがあるのかなって気がします。溺れている人、世界を外側から見て楽しむみたいな。
5. lain, 変身, 異邦人は答えを出してくれたの?
答えは出してくれていないのかなと個人的に思っています、雰囲気や世界観は神秘的で面白はあるのですが。他者がいないという不条理のものとで幸せ、生きる意味を見つけるのはかなり難しいのかなと言う気がしました。そもそもニーチェが「神は死んだ」、生きる意味は存在しないって明らかにしているのだから当たり前ではあるのですが。自分で見つけ丁寧に意味のある物語, ナラティブを紡いでいくものだと個人的に思ってます。
生きることそれ自体の意味は存在しない
"日常", 日々の生活の中で喜びを得て意味が存在する(認識する)
実存は本質に先立つ
人間の本質はあらかじめ決められておらず、実存(現実に存在すること)が先行した存在である。だからこそ、人間は自ら世界を意味づけ行為を選び取り、自分自身で意味を生み出さなければならない
生きることそれ自体を探そうとすると「あれ、なくない?」となって、生きる意味はないという刺激を脳の中で繰り返して自殺してしまうのではないか?
生きることそれ自体には意味が存在しない
生きる意味はない
死のう\(^o^)/
「賢すぎる」のではなく「人生について考え過ぎてしまう」と自殺(というか希死念慮)に繋がってしまうのではないか?という仮説です。
自殺:まずシンプルな1つの方法として人生を終わらすということ。キルケゴールとカミュはこの方法が非現実的であるとして退けている。
↓生活が苦しくて実存的な生きる意味を探してるから、ノリを軽くしても無理なのでは?と思う。
病むひと、メンタルが弱いのではなく、「じぶんの存在意義に拘りすぎ」が多い。なんのために生きてるんだ、なんのためにツラい思いをしてるんだ、なんのために耐えているんだ、とか考えている。逆に、病まないひとはノリで生きてる。意味とか拘らない。せっかく生きてるし、心地よく暮らすだけっしょ。
— プロ奢ラレヤー🍣 (@taichinakaj) November 11, 2024
極限状態での生きる意味の探求、「夜と霧」は極限状態での生きる意味、助け合いのナラティブを育もう、紡ごうとしたけど、「ペスト」はそういう状態があることを明示しただけなのでは?問うべきことは「生きる意味の有無」ではなくて「どうやったら生きる意味は生じるのか?」、「ナラティブの作り方はどうすればよいのか?」ということなのではないのか?
ゲームや宗教みたいな架空のエピソードにも人間は人生を見出せる。そのくらい人間の脳はバグってる。
信者がほぼ思春期に小説を読んでおらず、フィクションが発揮する作用に対する免疫性を身につけていなかったのではと述べている。
ただ悪いことをした。何故なら文学を読まなかったって論調はなんかポジショントークみもあるな... 実際どうなんだろう...?
これもうーんどうなんだろう... 受験勉強よりも読書のほうが視野を広く持てるのはわかるけどそれが明確に効果的なのかってどうなんだろう... もうちょっとちゃんと読みたい...
物語ではなく娯楽があればいいのか?
6. lain, 変身, 異邦人は役に立つのか?
そういう意味で言えば第二次世界大戦時の不条理とはまさに物質的な不条理が非常に大きかったわけで、実存主義が多くの人々の心を惹き付けはしたけど、不条理のど真ん中で溺れているわれわれ一般大週の役に立ったのか?というのはすこし疑問かも知れない。カミュとサルトルの対談が空中戦になってしまったのもそういうところなのかなと…
そもそもかなり特殊な環境であって不条理?不快感みたいなのはそこまで大きくないのでは?実存主義の作品が代表とみなされることで、社会的欲求が満たされない不条理をあたかもすべての不条理としてみなされたのはちょっとどうなんだろう?みたいな気がしました。
サルトルは選択権のある状態で課題を設定しているのに対して、カミュは選択権のない状態、ひたすら殴られ続けるなかでの生きる意味を探しているので。非常に難しい問を立てている。答えがでないのは仕方がないのではないのかな?という気がしました。意思決定の自由, 選択の自由ってあんまり無い気がするんですよね。意思決定のために必要な情報も持ってないですしね。そういう意味で言えばサルトルも貴族やなって思うんですよね。
世界や存在にはそもそも意味はない。だがだからこそ人間は根源的に「自由」なのだ。人間の根源的条件をそう考えたサルトル。だがそれは同時に人間に大きな不安を与えるものでもある。自分自身があらゆる行動の意味を決めなければならないからだ。そこには絶対的な孤独と責任が伴う。その状況をサルトルは「我々は自由の刑に処せられている」と表現した。
選択する自由がないと意味, 物語が生まれる。選択する自由があると意味, 物語がなくなる。責任なんて存在するのか?
大統領選あっさり決着してた。昔は熱心に分析読んだりしてたけど、おっさんの経験的には右だろうが左だろうがイデオロギーに逃げると予後が悪い。それで飯が食えるのか?それでハゲが治るのか?それでモテるのか?大きな物語に陶酔してないか?それは俺の物語なのか?イデオロギーを煽動している側はそれで飯を食って美味しいとこ持って行く。煽られる側は搾取されていることのほうが多い。凡夫たる自分はショボスキルの集積でもって己の生を上げていく優先度のほうがずっと高い。
7. 実存主義と構造主義の違いはなに?
実存主義
不条理, 制約された状況のもとで生きる意味を見出す
第一次世界大戦, 第二次世界大戦下で制約だらけ
自責するしかない
鶏と卵
構造主義
考慮する要素を増やしていく、制約がない状況
経済成長下で制約が外れていく
他責もできるよ
鶏と卵と "ニワトリに近い種の鳥類"
鶏はニワトリという生物種だけですが、卵はニワトリ以外の鳥類も生みます。つまり、ニワトリに近い種の鳥類が時間をかけて徐々に変化(進化)することでニワトリになったということです。つまり、「卵が先にあり、卵から生まれる鳥類が長い時間をかけてニワトリに進化した」のが、「鶏が先か、卵が先か」の解答になります。
なぜなぜ分析するときも自分の裁量の範囲でしか原因を挙げられないなら実存主義的, 自責で、他人の裁量の範囲でも原因を挙げられるなら構造主義, 他責みたいな捉え方をしています。
8. おわりに
上記は書きなぐりです, 妄言です, 誤りを多く含みます, 異邦人も変身もそんなに読んでいません, あくまでも現段階での理解をまとめた雑記になります。お読みいただきありがとうございました。