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挑戦と生きること

この記事を書くことを、この数週間ためらっていた。
ただの思いつきではないだろうか。
命を危険にさらす挑戦とは無縁の私が、この方々の挑戦を語っていいのだろうか。
家族を大切にされた平出和也さんと中島健郎さん。その大事なご家族のお気持ちを考えると、いたたまれない。

ニュースで、平出さんと中島さんの捜索打ち切りを知った。
耳を疑った。
あの、アルパインクライマーの平出さんが、遭難するなんて。


NHKの番組で、シスパーレ登山でお姿を見たのが初めてだった。
釘付けになった。見たのが夜中だったが、その夜、眠れなかった。
興奮して、なかなか寝付けなかった。
雪と氷と吹雪の中、ひたすら壁を登る。
悪天候の中、一歩ずつ歩みを進める2人の姿に、息がつまった。壁に突き出たわずかな岩場に、テントを張って吹雪が収まるのをひたすら待つ。最後に登頂成功した時、写真を雪の中に埋めていた。誰だろう。

それからだ。
平出さんを検索し、谷口けいさんを知り、中島健郎さんを知る。

同じくNHK番組、田中陽希さんの「グレートトラバース日本百名山一筆書き」のカメラマンであったことも知る。私はその番組を欠かさず見るほど、虜になっていた。その映像は、平出さんが撮影されていたと知り、納得した。TJAR(トランスジャパンアルプスレース)も、夜中に見て眠れなかった。その素晴らしい闘いのドラマをカメラに記録していたのも、平出さんだった。視聴者側の目線を意識した映像は、私のように経験したこととのない人間まで、ドキドキさせてしまう。まるで私がレースに参加しているかのように。素晴らしい撮影技術と、体力。
どの番組も、平出さんの映像あって記録だったと心から思う。

その平出さんのお元気な姿を見ることができないと思うと、本当に無念だ。
無念という言葉では、言い表せない。
私は、捜索打ち切りのニュースを聞いて以来、毎日、平出さんと中島さんの挑戦について考えている。
「なぜ、人は挑戦するのか。」

平出さんのインタビューでの言葉や、本を読み返して、私は思う。
人は誰しも挑戦者であって、「生きる=挑む」なのではなかろうか、と。
小さな挑戦から、命を危険にさらす挑戦まで、その大きさに差異はあっても、人間みな、何かに挑み続ける生き物なのではないかと。
だから、平出さんや中島さんのシスパーレ登頂を見て、強烈に惹かれる自分がいた。理屈や理由があって惹かれたのではない。人間の本性として、DNAレベルでもっている、私の中の挑む本能に小さな火がついた。私の、平凡な毎日に小さな活力が生まれたし、その活力は小さくても、灯った炎は私の記憶に残った。


平出さんが、インタビューで「未知の世界に出会うこと」が、ゴールだと言っている。

(ティリチミール登頂を終えて)ぼくらにとっての「ゴール」は、未知の世界に足を踏み入れて、誰も直面しなかった謎を解きながら、自分自信で答え合わせをしながら、山に登る事だったんだとわかった。必ずしも山頂がゴールだというわけじゃない。だからこそ、K2でも未踏の壁に登ろうとしているわけです。(p396)

見知らぬ世界へのスタート地点にたてたらもう、十分に成功ですよ。なぜなら、そこへいたるまでに十分葛藤しているし、十分苦しんでいるし、少しずつ成功への種を積み重ねてきているだろうから。(2023年9月19日インタビュー)(p397)

奥野武範(2024)挑む人たち。 リトルモア

挑戦することは、必ずしもピークに立つことでもないし、成功することでもない。その挑戦の過程、全てが大切で、見知らぬ世界を見ながら、自分自身が変化し、成長していくことが、楽しいことなんだと、平出さんに教えてもらったように思う。

平出さんの言葉をもっと聞きたかった。
今日も私は、平出さんと中島さんの挑戦について思いを馳せ、日々、生きるという挑戦をしている。そして、私にとっての、「未知の世界への挑戦とは何か?」を考え続けている。


大石さんのnoteの記事、心痛が伝わる記事でした。

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