かわいそう、言わない思わない。
私は、20代後半にかけてバセドウ病を患っていたことがありました。また、バセドウ病眼症と呼ばれる目の症状も強く出てしまい、
・眼球突出
・治療による副作用で顔がむくむ
・お薬の副作用で太ってしまう
など、容姿の変化が大きく、そのことでとても惨めな思いをしたことがあります。
また、結婚式前だったこともあり、結婚式準備を楽しんだりワクワクしたりすればする程、その反動でなんでわたしだけこんな思いをしなきゃいけないんだろう。と涙が出てきてしまう夜もありました。
当時のことを振り返りながら。
本当に辛い時は、忘れたい。
今でこそ当時を振り返り、あの時は辛かった。と言えるようになったけど、当時は病気の話をしたくなかったです。
あまりにも顔が変わりすぎていて、結婚式や同窓会に顔を出すことがとても億劫でした。
「だれ?笑」「整形した?笑」
と冗談を言ってくれる人もいました。
元々のわたしの性格をよく理解している人の発言として、失礼そうな言い方をする。これは正解なんです。
でも、返事ができません。
「ちがうよー、今バセドウ病という病気を、、、」
まともに返事をするのは辛い。
「ちょっと目を大きくいじって、、、」
自虐する余裕もなく。
とにかく恥ずかしかった。
同級生同士の結婚式に呼んでもらった時には、事情を知らない男子たちと、学生時代はそこそこ仲良くしていたのに、お互いに気まずくて、全く話が出来なかったのも辛かったです。
あの時の私との接し方マニュアルをつくるとしたら、会っていいのは私の病気の事情をよくよく理解している友人数名のみ。
会話の内容は出来るだけ馬鹿げていて内容のない話を永遠として笑う。
実際に、私の病気をよくよく理解してくれている友人数名は、わたしの望む通りに馬鹿げた話を何時間もして笑う、みたいな時間の過ごし方に付き合ってくれました。
改めて本当に素晴らしい友達に感謝の気持ちが込み上げてきます。
悩みなく楽しい時間を過ごせることが当たり前ではないことを知り、でもそんなことを知らなかった病気以前の自分で居れる友達との時間は、当時支えでしかなかった。
わたし、かわいそう?
何が惨めかというと、人からかわいそうと思われている気がして仕方がない。
きっと、友人たちもわたしの状況に心を痛めてくれていたのだと思います。でも、友人たちはそんな素振り見せずに関わってくれていました。
きっと、私自身が“わたしってかわいそう”といちばん思っていたのだと思います。
そして、わたしの中にもある”あの人かわいそう”という感情に対して、嫌悪感を抱くようになりました。
人の人生、勝手にかわいそうと決めつけないで!!
当時とっても辛かった!!という内容をつらつらと書きましたが、この経験があったからこそ、友達の有り難さを身に染みて感じることができました。
健康でいられることの有り難さも知ることができました。
結婚してすぐに顔や体型が変わっていく私のことをしっかり支えてくれた夫との間には深い絆もできました。
わたし、かわいそうですか??
ちょっと羨ましくないですか??笑
人それぞれのアプローチでよいよね
辛い時期があるからこそ気付けたことがあります。
辛い時はとても自分勝手でした。
わたしとの関わり方マニュアル、なんて図々しい発想までしてしまいます。
でも、たくさんの人がわたしのことを支えたい。と思ってくれている事も感じました。
でも周りの人の支え方も人それぞれで、相性的な合う合わないもあれば、タイミング的な合う合わないもありました。
寄り添ってくれる人もいれば
本質を解決しようとしてくれる人もいる、
励まして応援してくれる人もいれば
お金をくれる人もいました。笑
一緒に笑い合う時間を過ごしてくれる人もいました。
色んなアプローチがあっていいのだと思います。
その時に合わないアプローチをされるととても嫌な気持ちにもなる。でも、本当は私のためを思ってくれていることは分かっている。
嫌な気持ちになる自分に嫌になって辛いけど、でもそれも経験。そこから生まれるものはあります。
全て経験の経験は気づきになり、学びとなる事を知りました。
明らかに傷ついている人に、気を使って気を使って気を使いまくった結果、何もしない。だけは違うかも。
お節介かもしれない、
余計な一言を言うかもしれない、
傷つけてしまうかもしれない、
でもそれでいいと思う。
ただ、私が思うのは、
わたしのことかわいそうと思わないで!!!
だからわたしは