仕事をするのは何のため?
会社に退職を申し出てから、実際に退職するまで、6か月かかりました。
理由は、単純に責務が重くて、なかなか後任が決まらなかったこと。
もう1つは、それなりに自分が段取りを踏んだことにあります。
40代半ばに差し掛かろうとしている時に、変な賭けは出来ないと思いました。
ただ、また会社員で働きたい、とはどうしても思えなかったのです。
「私は何がしたいのか?」「何のために働くのか?」
退職までの1年間、自問自答の日々でした。
労働は美徳?
国民の三大義務「教育」「勤労」「納税」
「働かざる者食うべからず」
日本人には「働くことが美徳」のような考え方がどこかあるように思います。私がまさにそうで、大学を卒業以後、働かなかった期間は、保活に落ちた1年間くらいで、ほぼ働いていました。
働かない=社会における自分の存在意義がない。
会社勤めをしている時は、そんな風に思っていました。
自分の感情が「無」になっていた時は、面接官として、逆に応募者の方々の意見を参考にすらしていました。
自己実現のため、自己成長のため、やりがいを求めて、社会貢献のため、会社理念と自分の想いが合致した、経験を活かしたい、スキルを活かしたい。
もちろん生活のためではあるんだろうけど、みんなすごいな~と!
当時の答えは「家族のため」
忙しいほど、家族との時間がより貴重なものとなり、より楽しく、より思い出深いものになる。
当時は忙しいことを正当化するため、本気でそんな風に思っていました。
また、職場でクオーター毎に査定があったのですが、自己成長や自己実現を問われると「何を今更聞いてくるの?20代でもないし、何も出てきません」と、だいぶ冷めた考えをしてました。
自分の夢すら持たない冷めた大人が子育てをしているのですが、そんな私は家族のために頑張って働いていると、おごり高ぶっていました。
娘に「お仕事がんばって!」といつも言われるのが、嬉しく誇らしくも感じていました。
今の私は「自立と自律」のため
国語辞典にこう書いてあります。
自立=他への従属から離れて独り立ちすること。他からの支配や助力を受けずに、存在すること。
自律=他からの支配・制約などを受けずに、自分自身で立てた規範に従って行動すること。
脱サラ後、仕事の定義すら変わりました。
その話は、また別の機会に・・・
一番思ったことは、自分にベクトルを向け、自分を大切にすること。
その上で、依存せずに自分の足で立つこと。
いざとなったら、会社が何とかしてくれる、国が何とかしてくれる、親が夫が何とかしてくれる。その依存的な甘えた考えをやめようと思ったのです。
今は、どんな嵐や突風が来ても、自立した自分でありたい、と思いながら、仕事に向き合っています。