「笑顔。」/ショートストーリー
「ああ。遅かった。」
男は少し悲し気につぶやきました。
「ねえ。もう少し明るくできないかな。」
そう言われた彼女はずっとうつむいたまま。
自分では精一杯明るく笑顔で仕事してきたつもりなのです。
でも、仕事先からクレームが来てしまって、上司から叱られているところです。
「女性は愛嬌っていうでしょう。それにね。課内でもあなたと一緒の仕事がやりずらいという話もでているんだ」
彼女は驚きます。まさか。
「みんな言わないだけだよ。ギクシャクするのは誰でも嫌だからね。」
彼女は顔をあげます。
「みんなってどなたが。」
「みんなはみんなだよ。努力しているように見えないって。」
努力はしているのです。
彼女なりに。
叱られた日から彼女は一層頑張りました。
仕事の仕方も。笑顔も。
ところが、また。
また課内のミーティングのはじめに上司が笑いながら言います。
「みんな。愛嬌、愛嬌を忘れずに。仲間に悪いところがあったら教えてあげるのが親切だよ。」
名前は出なくても誰を指しているのかはわかります。
彼女は打ちのめされます。
どんなに頑張っても笑顔にみられないのです。
それで。
彼女は買うことにしました。
「笑顔の仮面」を。
「これは笑顔の仮面なので笑顔にしかなれません。一度着けたら一生外せませんがよろしいですか。もちろん。お値段ははりますが。その場に合わせた表情ができる万能の仮面もございます。」
彼女は笑顔にみられるならと思いました。
それに。
「万能の仮面」は高すぎて手が出せなかったのです。
彼女はとびっきりの笑顔を手に入れました。
彼女の評判は好転しましたが彼女は苦しみます。
究極のつくり笑顔です。仮面の下で本当の顔が引きつります。
最悪なことが彼女を襲います。
彼女の愛する父親が闘病の末亡くなりました。
彼女は泣くことができません。
泣くどころか、とびっきりの笑顔になってしまうのです。
彼女の本当の顔がぴきぴきと音をたてて裂けていきます。
同時に心も裂け始めました。
彼女は今、ひとりで病室にいます。
常にとびっきりの笑顔で。
ひとり見舞ったものがおりました。
「ああ。遅かった。」
男は少し悲し気につぶやきました。
彼女に「笑顔の仮面」を売ったのは。
「難デモ屋」。
見舞いに来た男は「なんでも屋」でした。
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