笑えなくなる。
くまモンの青いセーターが着れなくなった。それに、蛍光オレンジの毛糸のタイツも。お母ちゃんはまた寂しそうにしている?
「海斗兄ちゃん! お母ちゃんに言ったね?!」わたしは兄の腕を両手で掴んで怒った。だって、お母ちゃんたら、わたしがくまモンの青いセーターを着ずに、何日も過ごしているのに、わたしのことをニコニコして見ているだけで、何にも言わないしっ!
「知らねーよ!」兄はギターを弾きながら、笑いを堪えているようだった。兄の部屋の風鈴がさっきから、季節外れな音色で鳴っている。ブルーの綿カーテンがひらひらとなびいている。今日は1月の終わりだと言うのに、まるで春のように暖かい。
わたしの兄は、高校でバンドを組んでいる。兄の隣で高音を奏でているのは、ボーカルの昭子さん。お母ちゃんには内緒だが、兄と昭子さんは付き合っている。つまり、彼氏彼女の関係。
「だったら、わたしも2人が付き合ってることバラすよ!!」わたしは、兄には何でも相談した。兄はわたしから見たら、何でもできるスーパーマン! まず運動神経が抜群にいい。小学生の時から、運動会の地区対抗リレーでは何人抜きもするくらいで、陸上大会では市内で優勝。県大会まで行ったんだ。少年サッカーではMFでキャプテン。中学時代には兄がキャプテンで県大会に出場。それだけではない。文武両道の兄は、作文を書かせたら先生方も唸るほどの腕前。特に詩では、小学生の頃からコンクールで入選し続けて、新聞社の発行する書籍にも載ったくらいだ。そんな兄は、わたしの自慢なのだ。
「俺が言わなくたって、おまえがコタツでうたた寝しながら、雅哉くぅ〜ん、雅哉くぅ〜んて、ひゃっぺんも遠吠えし続けたんだろうが!」兄は、ギターをジャッ、ジャン!!とかき鳴らすと、五線譜にメモをした。作曲をしているのだ。
わたしは、真っ赤に燃えた両ほっぺを両手で押さえて、昭子さんを見た。昭子さんはモデルのように背が高くて、モデルのように手足が長くて、モデルのように顔が小さくて、背中まで伸びた髪の毛はダークブラウン。ツヤツヤ柔らかい毛並み。着ているものもいつもオシャレだ。兄の通う西浦高校には制服がない。わたしも中学生になったら、ちゃんと勉強して、西浦高校に行くんだ。
昭子さんは、わたしの真っ赤に燃えるまん丸顔を覗き込むと、「海斗もね、競争率が高かったのよ! だけど、あの手この手を駆使してゲットしたわ!」リップグロスでぷるんとした唇を色っぽくパクパクさせながら、昭子さんは言った。「えーっ?! こんなののどこがいいの〜?! だってマザコンだし、食いしん坊だし、妹に厳しいし。でもほとんど優しいけど。怒っても、わたしが泣くとすぐに許してくれるし」わたしは、だんだんと照れながら話していた。
「あんたって、極度のブラコンよね! 海斗と結婚したら、小姑でうるさいんだろうなぁ」昭子さんが額に手をあてて言った。細く伸びた白い腕。手の指は長く、ネイルもキレイ。わたしは自分のまん丸な指の爪を見ながら聞いていたけれど、ハッと驚き、「海斗兄ちゃんと、け、結婚するの?!」と叫んだ。兄を見ると、ヘッドホンをつけてギターを弾いている。作曲に没頭しているのだろう。
「付き合ってるんだもん。そういうことは当然考えるでしょ!」昭子さんはそう言いながら、また歌い出した。昭子さんは時々、どこからが会話で、どこからが歌ってるのか分からない時がある。
そうか。付き合っているってことは、彼女ってことは、もしかしたら彼氏と結婚するかもしれないんだ!! きゃあ!! ど、どうしたらいいのか?! わたしは最近、まるで地面から10センチ浮いて歩いているように夢心地だ。
だって、大木くんがわたしに笑いかけてくる。あのかわいい大きな目を細めて、ニッコリ笑うのだ。わたしを見て。こんな夢のようなことが現実に起きているのだ。足も地に着きたくないだろうよ。
だけど、全く何考えてんだろ? わたし。わたしは、わたしったら、その大木くんの笑顔に応えられないのだ。だって。。。
だってさ、大木くんは、そのかわいい笑顔をわたし以外の女の子にも振りまいてる。わたしにだけに見せてくれているわけじゃない。わたしにだけ向けてほしい。その笑顔。
だけど、だけどと思うよ、そりゃあ。学校中のアイドル、大木雅哉がわたしの絵を描いてくれただけでも、神の棲む天の雲に向かって、ありがたや〜ってしなきゃなんないくらいなことなのに、その上、大木くんにわたしを特別扱いして欲しいなんて、そんな身の程知らずな要求。バカね、ほんとバカよね。
だけど、笑えない。大木くんに笑いかけられると笑えなくなった。どうして? 笑いなさい! コラッ!! そうしたって笑えない。笑えないで、大木くんから目をそらす。そして、再度チョロリと大木くんを見ると、寂しそうに笑ってる。
「手紙くれよっ! 彼女なんだろ?」佐伯がまた来たよ。手紙はもうとっくに書いてある。そして、クリアファイルを三枚重ねにして、折り曲がらないように、破けないように、ましてや落とさないように、厳重にして、ランドセルに入れて、毎日持ってきている。
「だいたい、あんたはなんなのよ! 大木くんのパシリなわけ?」わたしは、佐伯くんに噛み付いた。佐伯くんは、ちょっとおののき、「パ、パシリじゃねぇーよ! 親友だよ!」と、ちょっとプリッとして言い返してきた。
「信用できない。あんたが手紙の中身見るかもしんないしっ!」わたしは、腕組みして、思いっきり上から目線で、佐伯くんを見降ろして言った。佐伯くんは、ちょっとまたたじろぎ、「楽しみにしてんだよ! 雅哉は。おまえからの手紙。おまえ、雅哉に手紙書くって言ったんだろ?」とモソモソと言った。
「た!! 楽しみにしてるの?! 雅哉くんが?!」わたしの胸が高鳴った。「おう、そうだよ。だから俺は親友として、、」佐伯くんが話終わらないうちに、わたしはランドセルをガサゴソやり出し、クリアファイルに厳重にしまってあった手紙を、やっと空気の触れる場所に出した。手紙はまるで真空パックから蘇った肉まんのように、フワッと膨らんだ気がした。
「ソノホウヲ、オトコトミコンデ、タクシタゾ!」わたしは、佐伯くんの目を、ジッと見つめながら手紙を渡した。「タシカニ!」佐伯くんの目は熱く燃えていた。まるで殿から大事な密書を預かった隠密の気分だったのだろう。男の子って単純よね〜。
続く
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