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くるりのこと

くるりのえいが  を観てきた
あたしの25年も詰まってる気がしていっぱい泣いた


私はくるりのファンとしては、古参だと思う
最古参ではないけどそれに近いと思う
くるりとの出会いは彼らがまだデビューする前になる

20歳当時付き合っていた彼氏が立命館の人だった。
「めっちゃ上手い先輩がいる!」って言うもんだから、じゃぁCD買ってきてよ。って言ったのが始まり
(※元彼はロックコミューンではない他の軽音サークルだったはず)

その先輩とは、くるり
買ってきてくれたCDは「ファンデリア」

すぐCDを聞いた。一目惚れした。
たった2個上の人が、こんなにも魅力的な曲を作っている事にも驚いた。
(当時の私は軽音楽部でコピーバンド組んでたので、凄さが身に染みたんですよね)
心撃ち抜かれるってこういうことなのかなと思う。
すぐに名古屋のLIVEはないかチェックしてチケット購入。

当時のライブハウスの資料
その日のセトリとサインと岸田くんのピック

これらは、私の宝もの

LIVE後にライブハウスの外で1時間以上も話ししてくれたなぁ
東京でデビューする話や、なんでくるりになったのかとか、その時教えてくれた
当時の名古屋のファン、あたし含めて6人しかいなかったのも良き思い出

サインペン持って行ったのに、もっくんボールペンでサイン書くんですよ笑(消えかかってるよ)
そして、岸田くんにサインくださいって言ったら、うんこって描かれたんだ。
数年後またサインを貰うことになるんだけど、相変わらずうんこ書かれるのはなんで?笑
くるりの普通のサインを書かれない私の目標は、いつか普通のサインをもらうこと

数年後もらう2回目うんこサイン

20歳の時に一目惚れをしたここから、まさか25年も新しい曲を楽しみに生きることになるとは、この時は思いもよらなかった

ここからの25年は、名古屋でのLIVEはほぼ出席。
一時期サブカルの人達に見つかってしまって、チケットが取れにくくなっても「あたしは絶対チケット取れるから」という謎の自信があって、文字通り外れた事はない。
せっかくチケットが取れても、妊婦になって「箱ライブはダメ!せめてホールLIVE!」って家族に反対されて行けなかったLIVEや、子供の遠征の付き添いであたしが名古屋にいない時のLIVEは行けなかったけども。

25年くるりと共に生きているのを実感してて、曲を聴く度にその時の心情を思い出す
旦那と付き合ってる時、東京と名古屋で遠距離恋愛してた時は「東京」聞きながら泣いたし
息子が電車にハマった時は「赤い電車」をいっぱい聞いたし
親族の結婚式の時、入場の曲が「ハイウェイ」でちょっと笑ってしまったり
このアルバムのLIVEの後には終電逃すまで飲んだなとか
臨月間近なのに母校の学際LIVEいったなぁ(しかも一人で)など

メンバーが減って増えて減って増えてって形は変えるけれど
私の25年にくるりは根付いているから親戚みたいな感覚で
途中で指輪してるの見つけて(ついに結婚したな笑)とか
(子供産まれたな笑)とか思うのも好きだった
岸田君が急にコンタクトにした時は、それはないだろうって思った笑(ごめん)

岸田君、佐藤君はもう私のことは忘れていると思う

でも、あの時、デビューする前に出会ったあたしはあれからずっとくるりが好きで、くるりの奏でる音楽を毎回楽しみにしていて
変わりなく愛している
まさか四半世紀も活動してくるなんて思ってもないし
愛し続けるとは思ってなかった

もうこれは、どちらかが人生を全うするまでの戦いかもしれない
あたしより先にくるり辞めないでね

あたしにはくるりへの思いがぶわぁぁぁっとあふれる映画でさらに愛情が増した
タバコ吸いすぎに気を付けてね
12月の名古屋のLIVEはもちろん行くよ
会えるのを楽しみにしてるから

最後にとても若い3人を置いておきます
映画見てて、あの時の服やんってなりました





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