当たり前なんてないと思う
不器用な息子、なかなか思ったようにはできない。
2年間近く右手か左手に点滴をして、手からダメなら足から
右利きなのか、左利きなのかもわからない状態が続いた
学校の先生に伝えると
「あっそうなんですね!でもそろそろ出来ないと。」
その言葉になんだか悲しくなった。
息子は7ヶ月に『劇症肝炎』になり、あれよあれよという間に
私の肝臓を生体肝移植をした。
その後、拒絶のため私の肝臓を取り出し、二回目の脳死肝移植をした。
それが、1歳4ヶ月
立ち上がりも悪く、全く感情を失って笑わなくなった。
どうにか退院したのは2歳4ヶ月
その時点で、歩けないし言葉も話せない
それでも、子供の力はすごくすぐに歩けるようになり
おしゃべりもできるようになった。
私たちが、何か努力したわけでもない。
子供の力でどうに追いつこうとしたのかもしれない。
生きてること自体が奇跡なのに
退院した、2歳4ヶ月の子供に
周りの子たちは歩いてるんだから
そろそろ歩けるようにならないと。
みんなおしゃべりしているんだから、話さないと。
なんて思ったこともなかったです。
子供の入院していた病院は大きな病院で
子供しか入院していない。
当たり前が当たり前にできない子供たちがこんなにいるのだと
子供が病気になるまで知らなかった。
当たり前なんてないんです。
今日生かされているのも、明日朝を迎えるのも
手を動かすのも、自分の足で歩くのも
雨の音を聞くのも、暑いなーと日差しを浴びるのも
めんどくさいと思うことも
すべて、奇跡で
すべて、それを羨ましいと思っている人がいる。
だから、そろそろ出来なくてはいけないなんて決まってないと思うんです。
なんでも早くできる子。ゆっくりできるようになる子。
頑張ってもできない子。
それに、できなくても選択肢は一つじゃない。
そのそろそろは何が基準なんでしょう???
みんながそれに当てはまる必要があるのかな?
当てはまらない子は、いけない子なのですか?
出来ないと、周りに迷惑だからというなら
迷惑をかけないで生きていこうとすることの方が無理で
周りに迷惑をかけないようにと教えるならば
迷惑を迷惑と思わないように
誰かが困っていたら、助けられるように教えたい。
子供の人生は子供のもので
当たり前が出来なくても、出来ても
そろそろがそろそろじゃなくても
幸せに生きていってほしい
それだけが親の私の願いです。
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