恋愛とは相対的なものである
こんばんは、シンガポールで働く日本人、ニコールです。
シンガポールは「サーキットブレイカー」中ということもあり、ほぼほぼ自宅に引きこもって仕事をしているのですが、土日はまとまった時間があったので、友人のススメで「テラスハウス(アロハステート)」を見ることに。
テラスハウスは今まで見たことがなくて、どちらかというと見ず嫌いだったのですが(リアリティショーの恋愛ものってなんか違和感ありますよね、建付け的に)、見てめちゃくちゃハマりました。
その、いわゆる、ファン的なハマり方というよりは、「この番組すごいな」という感じ。
まず構成がすごい。結構こういうリアリティドラマの場合、仕上がりのクオリティは人やその人の持つキャラに依存するわけで、「どのキャストがどのキャストとかみ合っていくか」を想定しながらキャストの組み合わせを考えたりするのってかなりの難易度。
あと、リアリティドラマ本編を俯瞰してみているお茶の間的なスタジオの人たちの突っ込みがすごい(笑)。キャストたちを応援するだけではなく、容赦なくキャストたちの行動を非難したり、いじったり(本人が見たら傷つくレベルで)するわけです。でもこれこそがテラスハウスが一介の番組で終わらなかった理由なんでしょうね。ドラマを見ている仮想のお茶の間(スタジオ)をさらに視聴者がテレビ越しに見る、という入れ子構造になっているので、半分素人のようなキャストがやってる生々しく、ある種の痛みや共感を覚えながら見ている視聴者も適度に「あ、そうだ、これはドラマだ、笑っていいんだ」と視点を変えて息抜きできる。これずっとドラマパートだけだったら胸焼けして辛くなりますね(笑)。フォアグラずくしのディナーコースみたいに。
そしてテラスハウスで一番私が興味深く感じたのは、「恋愛とは相対的なものである」ということ。基本的に同じ家に住む6人の男女の中で恋愛が進行し、その中で誰が気になるかを決め、アプローチしたりしなかったりするのですが、新しいメンバーが入ってくるたびに、それまでのメンバーで構成されていた秩序や恋愛一歩手前の雰囲気が壊され、新しい序列のもとに再構成されていく、というのが何度も何度も繰り返されます。
運命の人だったら気持ちはぶれない、この人しかいない、という月9や少女漫画の価値観とは真逆を行く、「恋愛は絶対ではなく、相対で決まっている」という悲しい現実に似たセオリー。それが淡々と、むしろさわやかに繰り返されることで、だんだん「そうだった、それが普通だ」と思えてくるから不思議です(笑)。
どんなに熱を上げていた人がいても、新しく入ってきた人がより自分に合いそう、素敵だったらそちらに行く。でもそれをあそこまで最終的な後味をさわやかに描いているこのドラマは本当にすごい。
また、余談ですが、入れ子構造で言うと、ドラマのオンエアが撮影の2か月遅れくらいであるようで、過去の状況や「言えなかったけど誰が誰を好きだった」のようなものがキャスト自身も見れてしまうという、ものすごい仕掛けも。もともと文学部で文学を学んだ身からすると、物語の進行(過去分)が物語(現在)に影響を及ぼす、なんて画期的すぎて。。。オンエアだけではなく、同時進行でついて回るインスタなどの反響もかなり影響しているのだと思います。
ということで、テラスハウスがこんなにも世界的に支持されている理由がわかりました。シンガポールでもめちゃくちゃ流行っていて、ローカルの友人たちにも「え?日本人なのに見てないの?」と言われたほど。。。しかも一番人気は東京編。
次の軽井沢も見るか迷っています。。。
ではでは~。