003.葬儀屋との打ち合わせがしんどい
☝️おねがい
母親が亡くなったことについての日記です。
そういう話が苦手な方は読まないようお願いいたします。
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7月XX日
葬儀屋で寝ている母に会いにいく。
最後に母に会った時は、せん妄がひどく、幻覚、幻聴、幻視のオンパレード、ベッドから出たいと暴れていたし、会話もままならない状態だった。その時よりは表情が穏やかになったような気がする。気がするだけかもしれない。「母はもう苦しくないんだ」と、そう思いたいだけなのかもしれない。ガンが肝臓に転移していたので、黄疸で皮膚が黄色くなっていた。
担当の人と葬儀についての細かい打ち合わせ。
国産材木で作られた高級な棺、格調高い死装束、カラフルな写真額、位の高い戒名、「安らかに眠れるように」「故人さまのために」「悔いのないお別れのために」という言葉に気持ちが揺らぐけど、それらすべてには安らかではないお金がかかる。「棺なんて燃やしたらおしまいじゃないか…」と思ってしまうあさはかな娘を許して欲しい。勧められるオプションの数々や、お墓や、相続手続きの代行や、遺品整理会社の紹介なんかをなるべく穏やかにお断りする。葬儀の打ち合わせの場って、きっと格好の営業の場なんだろう。わかるけど、もうすこし待ってくれないものか。お墓なんてこの先ずーっと残る買い物、いまは考える余裕もないよ。感傷と現実のジェットコースター、こういうことの連続。
姉とその家族も来る。子供たちがわんわん泣いていた。
姉から、看護師さんが「妹さんあんなにがんばってたのに、最後に会えないなんて」と、泣いていたことを教えてもらった。姉自身もそのことをすごく気にしていたみたいだったけれど、「最期のタイミングに会う」ということについてはそんなに気にしていなかった。
「死ぬときはこっちの都合もなにもかも関係なく死んでしまう」ことを父の時に知ったし、なによりこのコロナ禍だったし、「最期のタイミングにこだわるよりも、一緒にいれるときに一緒にいよう」と決めていた。母にガンが見つかってからずっとそう思って過ごしてきたから、母の最後を看取れなかったことは確かに悲しかったけれど「でもあの時、一緒にごはんを食べたから」とか「でもあの時、一緒にスーパーにも行けたから」みたいな、ちいさな記憶のひとつひとつが「まあよくがんばったよ」って言ってくれているような気がして、それが救いだったし、そうやって過ごしてきてよかったと思った。
父が死ぬ少し前のこと。緩和病棟の看護師さんが「こんな時に面会ができなくて申し訳ありません、でも私たちにとっては、お父様を守ることも、他の治療中の患者さんを守ることも、どちらも仕事なんです」と言っていた。どんな状況でもひとりよがりになってはいけない、と襟を正す気持ちになる。この言葉をいまでもよく思い出す。
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きょうのネコの4コマ
(Twitter / instagram #ネコとともだちのはなし で更新しています)
これは、お母さんがもうすぐ死ぬ時に、たとえば友達から「タンスの角に小指をぶつけちゃって痛い」って相談を受けたら、わたしは「わたしなんてお母さんが死にそうなんだよ」って言わないでいられるだろうか、と思いながら描いた。お母さんが死ぬことはわたしの悲しみ、タンスの角に小指をぶつけてしまったのは友達の悲しみ、どちらも辛くて悲しい、わたしはタンスの角に小指をぶつけたともだちの気持ちはわからないし、友達にもきっとわたしの気持ちはわからない。わからないからこそ、くらべない、どっちがつらいのか、なんてことに意味はない。「お互いに辛かったね」ってただそれだけでいい。なかなかむずかしいことだけど。
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