ポチャッコがすきです
ポチャッコがすきです
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ポチャッコはサンリオのキャラクター、その出会いは小学2年生の時だった気がする。小学校の遠足に持っていくバッグを買いに地元のジャスコへと行ったわたしは、最上階のおもちゃや文房具やたくさんのキャラクターグッズに囲まれた売り場の中で悩んでいた。
「キティばっかりやん」
その当時、サンリオといえばキティ、けろっぴ、バツマル、あたりが
メインをはっていたような気がする。そこに並ぶバッグのデザインたるや女の子はキティ!男の子はけろっぴかバツマルか変な車のやつ!
両極端過ぎてどっちも持つ気になれなかった。
キティちゃんは嫌いじゃないけど赤やピンク色を持つことが苦手だったわたしは、かといって目玉が飛び出してるやんというけろっぴを持つ気にもなれず、こいつなんの動物やねん、とつっこみたくなるバツマルを持つ気にもなれず、残る車のキャラクターに至ってはなんでこれサンリオなん、と思うしかなかった。とにかくあの頃は、女の子用!男の子用!ってあからさまにわかるようなデザインのものが多すぎてちょっとげんなりした記憶がある。
そんなときにすみっこにあったのがポチャッコのバッグだった。
シンプルな無表情の白と黒の犬、かわいすぎない紫色、これだ!と思って「これがいい!」と母親のところに持って行った。しかもなぜか水筒がついていた、お得!紫色が好きだった母親は「あら、あんたセンスいいわね」と言って笑ってくれた。
自分の選んだもので母親が笑っている。
当時の自分の世界の中心なんて母親でしかなかった、母親が機嫌がよければわたしも嬉しい、母親が機嫌が悪ければわたしも悲しい、そんな母親が自分の選んだもので笑ってくれているのだ。その衝撃たるやすごいものだった。ポチャッコありがとう、それまでぜんぜん興味のなかった無表情の犬のキャラクターにどんどんのめりこんでいくはじまりだった。
で、翌日。
わたしには幼稚園からの幼馴染である鈴木さんという女の子(現在一児の母)がいる。週6くらいで彼女の家に遊びに行っていた。
当時はまっていたシルバニアファミリーと消しゴムを買ったばっかりのポチャッコのバッグに詰め込んで、彼女の家に遊びに行ったときだった。
「あ、そのバッグ、きのうわたしも買ってもらったんだよ」
おそろい!!!!!!!!!!!!!!!!
母親は喜ぶし大好きな幼馴染とはおそろいだしもしかしたら奇跡の犬なのかもしれないと思った。それからは父親にポチャッコのフィルムカメラを買ってもらい、ポチャッコの給食グッズを揃え、グッズが1つ増えるたびにどんどんポチャッコが好きになっていった。
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しかし時の流れは残酷で、サンリオコーナーを埋め尽くしていたはずの
けろっぴ、ばつまる、マロンクリーム、るるる学園、さる、へんな車は
どんどん消えていった。ポチャッコのグッズも日に日に減っていく。
代わりにポムポムプリン、シナモロール、どんどん知らないキャラが増えていき、わたしのこころとサンリオの距離もどんどん離れていった。キティさまだけは変わらずそこにいた。笑ってないのに笑っているように見えた。
そこから高校生になり、大学生になり、社会人になり
ポチャッコのことはわたしにとって過去のことになっていた
そんなある日、ふと立ち寄った390円マートで
なつかしのサンリオキャラクターのグッズが大展開されていた。
ポチャッコのグッズを全部買ってしまった。
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そして今年の6月
とうとう足を踏み入れたサンリオピューロランドで
わたしは会ってしまった。
ポチャッコに会ってしまったのだ。
号泣
まさか泣くと思わなかったしスタッフの人も困ってたと思う。
でもポチャッコは優しかった。
ずっとかわらない、あまりの可愛さに涙がぽろぽろ出てきてしまった。
キャラクターとして採用されていた八千代銀行はきらぼし銀行になり、キャラクターの座はキキララに奪われたポチャッコ。
シナモロール、ポムポムプリン、おなじ犬というジャンルの中で自分より人気のキャラクターが登場し、なにかの選抜のおりには選ばれないことが多いポチャッコ。それでもパレードの中でシナモロールやポムポムプリンと手をつなぎ2匹に慈愛のまなざしをむけている。そこにはポチャッコの愛しかなかった。関係ないのだ、自分とおなじ犬で、自分よりもランキングが上で、それでもこの苺の木の下では関係ないのだ、ぼくはポチャッコ、きみたちもすてきで、ぼくもすてき、ポチャッコの目はそう言っていた。ポチャッコは無表情なんかじゃない、見てごらん、ポチャッコの目はきらきらとかがやいてそこには愛がある、自分がポチャッコでいることへの誇りがある、なによりかわいい。もう全身かわいい。手のひらの肉球がたまらんかわいい。ぴょんぴょん飛び跳ねてはねる耳がかわいい、わたしはポチャッコが好きで良かったと思った。ポチャッコはいつだって大事なことを教えてくれる、わたしも嫉妬にかられて苦しくなることがあるけれど、そんな時間はもったいない、ポチャッコのように自分を信じ、まわりを愛し、そういう人間になりたいと思った。ポチャッコのもつ「なかよく」ハートをわたしも持とう、誰かと仲良くいるためにはまず自分と仲良くならなきゃ、ポチャッコありがとう、ポチャッコありがとう、きみのことが好きで本当に良かった。
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そしてサンリオピューロランドから帰ったわたしはカワイイフェスティバルのDVDを買い、悲しい夜には毎日それを見た。
UFOキャッチャーにポチャッコがいれば、取れなさすぎて哀れに思った店員さんが出口ギリギリに置いてくれるという優しさを発動するまでやった。ポチャッコのポスターがついているいちご新聞を買いに行き、カバンにはポチャッコのマスコットを忍ばせ、インスタグラムでは「ポチャッコ」のタグを検索している。つぎにポチャッコと会う時にもっとかわいく写真を撮りたいと思って8kg痩せた。
すこしだけ毎日がたのしくなった。ポチャッコはいつでもかわいい。ポチャッコはいつもポチャッコ、そしてわたしは酔っぱらうとカワイイフェスティバルを歌い出す面倒な女になった。でももう仕方ないのだ、泣いちゃいそうなほど嬉しくて、あなた私 みんなにおめでとう!と言いたくなってしまうのだ。こんな気持ちにしてくれてありがとう、これからもよろしく、大好きだよポチャッコ。
ポチャッコがいてくれて
泣いちゃいそうなほど!うれしいの!
あなたわたしみんなにおーめでとうっ!ふー!
おわり