101日後に◯◯をするにっこる【序章】小さな頃から (18才19歳まで)
明日10月4日(金)から100日後に向けて新たな挑戦はじめます。
退路を断つ。やるっきゃない、口外していこうと思う。(怖いけど)
新挑戦さてどうしようかなと最近では、深夜仕事終わりお店(スナックCANDY宮崎)から帰路に着いたあとも心身ほてり朝を迎えてしまう事しばしば(そしてお昼ランチ人と会ったりして、夕方仮眠、夜Candy)
この感覚、凄い久しぶりだな
ドキドキしてる
これまでこれから総ひっくるめ進んでいくことになると思うで、
ちょっと振り返りからはじめてみようと思う
多分長文、時に駄文、
思い出ぽてぽて、書いてみる
過去に縋る、思い出迷子なんかじゃない
これからに挑むための丁度良い準備運動みたいなもの
生きてるといろんな事ある
これまで色々あったなぁ
それではぽふん、
「これまでにっこる」新挑戦に至る道
随分と遠回りしたり時間掛かってしまったけど
いまのタイミングなんだと思う それではねっ
*文章整えたいけど10月3日(木)22時なう時間切れー、投稿ぽふんっ
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第1話
「これまでにっこる 小さな頃から19歳の春まで」
小さな頃からいろんなものが好きでした。
そういえば色んなもの追いかけたり会いに行ったりしてた。
小学生の頃『ズッコケ三人組*』作者、那須正幹先生にお手紙書いてお電話でお話をした事があった。3日ぐらい続けて電話したら、怒られちゃったw
那須正幹先生
「いま三人組の元に予告状が届いてこれから取材に行くところ」とか何とか「僕も忙しいから毎日電話かけてきちゃダメだよ」と嗜められた。
そりゃそうだ、執筆活動されてる作家先生に小学生が毎日電話しちゃいけない。(小学生じゃなくてもダメ、ゼッタイ)
そして、1週間後ぐらいに那須正幹先生から直筆のお手紙が届いた。
応援の言葉と次の『ズッコケ三人組』新作は怪盗と戦う推理ものになりそうだという事をコッソリ教えてくれる様な内容だった。
翌年『ズッコケ三人組対怪盗X』という最新刊が発売された。
*『ズッコケ三人組』は大ヒット児童書シリーズ
あぁこの世界には物語(エンタテイメント)を作る人、物語世界の裏側には素敵な人(大人)が居るんだな。にっこる少年想い憧れる
映画『ゴジラ』メイキングとか観て、ゴジラが破壊する街を作る人、撮影する人、役者さん、裏方さん、色んな人いる事を知った。
「私もそんなエンタメを創る世界に行きたい!」
将来、そんな仕事がしたいなと思い、そんな大人になりたかった。(後述)
とか、
中学生の頃、大好きなラジオ番組にハガキ送って学校の友人や先生と一緒に出演したり、高校生2年の頃、ゲームクリエイター飯野賢治さんに会社行ってみたいと履歴書送って上京後会いに行ったり、
高校3年の夏、高橋歩さんとう20代前半で仲間たちとロックウェルズというBARを創ったり、自分の自伝を出す為に『サンクチュアリ出版』という出版社立ち上げてた人に会いに行ったりした。
高校生最後の夏休み、東京にあるサンクチュアリ出版に行き、関西大阪出版宣伝ツアーにご一緒させて貰った(周りはみんな大人で高校生は僕だけ)
関西から東京に戻り、そのまま高橋歩さん達の書いた本などに登場するお店が実際にある小笠原諸島に渡って住み込みバイトしたり(17歳18歳の夏)、沈没船の上を泳げたり、あっイルカやダイバーの憧れマンタとも一緒に泳いだ、夜は満天の星空の中にいたり、
小笠原諸島は東京のガラパコスと言われてて珊瑚礁の白い砂浜があって水面に顔を突っ込むとサンゴの砂かけらがキラキラと音ならしてすぐそこ熱帯魚が泳いでたり、とにかく圧倒な凄い世界で、光るキノコなんかも生えてて将来キノコ研究者になろうかな思ったりもした、
あぁ世界は本当に大きくて美しいな、感動、
大人になるのが楽しみで仕方なかった、早く大人になりたかった
好きな事、行きたい場所、たくさん
いろんな事したかった (長文巻物 数本分になるので略〆) 話を進めると、
そんな学生時代、にっこる少年、将来、未来を考えた時、映画のスクリーン、テレビ、ブラウン管の中にある世界、向こう側に行きたいと考える様になっていた、どうにかしてあっちの世界に行きたい!
「面白いエンタメ創る人になりたい」
「素敵な人たちが居る環境に身を置きたい」色々考えた結果、
「吉本興業」か「アミューズ」行きたいと思った。吉本興業とアミューズ共通して言えるのは所属タレントさん居て(マネジメント)、自社でテレビ番組や舞台(ライブ)作って出版などもしてたり、エンタメ商社。
どちらかに入れたら夢目標に繋がると考え、
吉本興業にはNSCという養成所(学校)があると見聞し、
東京NSCに行くことにした。
高校3年の冬、面接に行った時に横の座ってたのが後のピースの綾部さんで
綾部少年
「僕、高校卒業して椅子工場で椅子作ってたんだけど、やっぱり椅子よりお笑い作りたいです。天下取ります」って、面接の時からちょっと上手そうな事いってた気がする、
18歳の春、上京して東京NSC(5期)に入学、
上下左右、錚々たる顔ぶれが並んでた
上には品川庄司さん、トータルテンボスさん、森山中さん、
ロバートさん、インパルスさんが居て、
横には、後のピース、平成ノブシコブシといった人達が居て、
実力、後の片鱗、目の当たりした。
東京だけじゃなく西の方もヤバかった。大阪NSC(22期)に行った友達に「西野、梶原って凄い奴らがいる」って聞いて絶望というか、絶望する程の所にすら自分は居なかった。
戦々恐々、
このままじゃ終わっちゃう。はじまりもしない、
芸能、エンタテインメント業界、ものづくりする人たちの居る世界に
このままでは、何もなく擦りもせずに卒業した瞬間終わるだろう思った、
入学から数ヶ月、半年も経つと学校NSCに来なくなる人達が増えてきた。
諦めたり、実力差を目の当たりにし戦意喪失者が続出していた
僕は、一体、どうしたらいいんだろう?
どうやったら自分が業界に入れるか、滑り込みけるか考えた結果、
「裏方になりたいです」とNSC東京、校長室、言いに行った
面接の時より緊張していた。
東京NSC校長
「音楽やダンスの授業には出なくていいから、お笑い(制作)に関する授業には全部出ろ」
「先生、構成作家の横について先生のお手伝いしなさい」
「卒業公演はスタッフとして参加しろ」
そんな事、言っていただき校長室を後にした。
当時東京NSCにはお笑いコースしかなくて(翌年から構成作家コースなどが新設される)お笑いコースしか無かった当時、
裏方しますと裏方コースに行くと、同期生と違う行動はじめたら
「お笑いから逃げやがったな」との無言の圧や、聞こえる様な声で言われてたり、気に食わないのか舌打ちみたいされちゃった覚えもある(笑)
悪い事ばかりじゃなかった、同期に白い目で見られつつも
なんとか裏方として、やっていると、
インパルス堤下先輩(4期生ひとつ先輩。鬼恐れられていた。)
「ヒダカ(にっこる)結構頑張ってんな。大変だと思うけど頑張れよ」優しく見てる人は見ててくれたりみてくれたり、
卒業公演に向けた準備を夜中NSC学校でしていると、夜中練習をしていた綾部少年がちんこを擦り付けてくれました。(何故擦りつけてきたんだろう)
後に世に出た人たちは、他人の事に目も向けず、壁に向かってぶつぶつ漫才のネタしていたり、ストイックに自分達の事に集中していた。
「◯◯◯は面白くないよね」みたいに他のコンビのネタ批評してた人たちはみんな消えていった。
とかとかそんな中、裏方として卒業公演を終え、東京NSCを卒業すると、ある日、
東京NSC校長
「ヒダカ(にっこる)、今から事務所来れる?」と電話が掛かって来て、行くと、
NSC校長先生
「最初はぜったい途中で辞めると思っていた。頑張ったな」
「吉本興業の舞台やNSCでの仕事があるからヒダカがよければ」みたいな事言っていただき、
にっこる少年
「!!!」
「します!させてください!!」
上京1年後、NSCに入って1年が経った頃、季節は巡り、春、
NSCには自分たちの次の代にあたる6期生達が入学していました。
はじめて吉本興業の給料明細書を貰い、お金が振り込まれてた日は、
本当に嬉しくて嬉しくて、嬉しかったなぁ
少年の頃、憧れてた世界の入り口に立っていた。
って、って、って、
この調子で書いてくと終わらないな、どうしよう
今回はここまで、このへんで
「にっこる 19歳の春まで」
おしまい つづく
次回「不眠不休!144時間戦えますか 1週間睡眠無しで人はどこまで人として保てるのか 志村けんや高橋名人のスイカを準備するお仕事」
にっこる後綴り(編集後記)
小さな頃から飛び込み力みたいなものはあったんだなぁ。こうして久しぶり思い出すと。小学生の頃、近くの駄菓子屋さん通ってレジ打ちしたり留守番する様になったり、おもちゃ屋さん通いつめたり、中学生の頃にはゲーム屋さんでバイトする様になってた。
稼いだお金で新しいゲームやCDや本を買ったり、無限テレビゲーム♾️状態、ちょっとした永久機関が完成してた様な気がする。
好きなものを追いかけ、したい事をする、行きたい場所を目指す、
少年時代10代、20代だった気がする
小学生の頃は、神童のつもりだったんだけど(あまり学校の勉強は苦手だった)大好きなものは夢中で追いかけてたり、取り組んだり、飛び込んだりしてた
大人になると自分のポテンシャル向き不向きとかで苦労したりもした。
(最初はそれが本当に解らなかった。)
苦手なものが苦手過ぎた。当たり前の事が出来なかったりもした。
自分は一体、何に向いているんだろう
これから一体何処を目指せばいいんだろう、結構解らず悶々としてた。
(20歳〜、2017年〜2023年ぐらいまでの事は、また別のタイミングで)
ようやく最近、去年2023年ぐらいからかな、解り始めて、今年2024年に入り、ようやく方向性が見えはじめて来た。
今年2024年、5月
『西野亮廣プレミアム講演会&BBQ交流会in宮崎(カームラナイハーバー+無人島「大島」)』という私にっこる、企画主催のイベント事を終え、
少し落ち着き、時間が出来た、
これから、この先どうしようかな考えていました。
自分の今後の方向性(向かう先)、一体どうしようかなと、
1ヶ月前、2024年9月頭(先月)、
ようやく次に挑戦する事にひとつたどり着きました。
ひとつの目標、チャレンジが定まった。
一度、人生を諦め、闇堕ちダークサイド化した時代が、私にっこる有りました。
何も先が解らぬまま、2017年ぐらいから再起動、人生新生、再挑戦はじめてみたんだけど、人生、再挑戦はじめて本当に良かった。(涙)
順風満帆ではないけど (みんなそうだと思う)
生きてるとほんと色んな事がある
自分の人生を生きたい
紆余曲折、病気、挫折、失敗、
生きてるとほんといろんな事がある、あったけど
はじめてみて良かった!本当に。
そして、今、一度、また新たに
挑戦していこうと思う (すごく怖いけど)
ドキドキしてる
にっこる
にこにこはんぶんこ
ぽてぽてふんぎゅ
ありがとうございました!
また
またねー⭐︎
10月4日(金)
「100日後に◯◯をするにっこる」
に続く
(「これまで にっこる20歳〜」続きはまたタイミングで)
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