【資産形成法編10】かつて30万円借金した母からしみじみ言われたこと
nicoと申します。
よかったら下記からプロフィール記事も読んでやってください。
ゴールデンウィークに母の家に滞在していた間に、今後に向けていろいろな話をしました。
住居購入の話題が一瞬出て、買うとしたら予算はどのくらいかを伝えました。
そのときは話題がさらっと流れたのですが、娘が先に帰宅し母と私二人きりになってからしみじみと言われたことが心に残っているので、そのことを書いてみたいと思います。
家を買うことを考えないでもない
ねんきん定期便によると、65歳から私が受け取る年金は基礎年金、厚生年金合わせて月12万円くらいの予定です。
今の家賃を払うとなると半分以上を占めることになってしまうのです。
なので、60歳の時点で1,500万円くらいの住居をローンを組まずに購入するのもありかなあと考えていました。
母と話したのはそのことです。
「がんばったね、よかったね」
39歳のとき、ちょうど今くらいの季節、適応障害で仕事を休職することになったことを母に打ち明けるのはとても勇気がいりました。
私は長女で、手のかかる弟に比べていつもしっかりしている役割が求められていた(と思っていた)からです。
外食しながら話をしたら、思いがけず「お姉ちゃん、かわいそう…」と言われました。
その言葉でなんだか力が抜けたのを覚えています。
離婚をして、娘と二人暮らしで、母にとても心配をかけていたことに当時の私は気づいていませんでした。
自分勝手をしているから助けなんて求められない、と頑なになっていたのだと思います。
それでも自分からお金のことは言い出せなかったのですが、母が「すぐ振り込むからいくら必要なのか教えて」と言ってくれました。
そこで率直に「30万円貸してほしい」と伝えることができたのです。
クレジットカードのキャッシングで自転車操業していることまでは伝えませんでしたが、母は父の借金で苦労していましたからおおよそ想像がついていたのではないかと思います。
このお金はこれ以上キャッシングせず、返済していくための大事な柱となりました。
そして18年経って、300万円以上の借金を全額返済のうえ、ある程度の資産を持つことができるようになりました。
そのことを母は「がんばったね、よかったね」と言ってくれたのです。
囚われていた呪いが解かれたのが資産形成のスタート
私は長らく「存在していいのは役に立つ私だけ」という呪いに囚われていました。
父がアルコール依存症だったこと、中学時代同級生から一斉に無視されたこと、好きになった男性に彼女がいたのにキープされたこと…
理由はいろいろありましたが、34歳までの私は本当に拗らせまくっていたのです。
そして膿が出きったのが39歳のとき、ということだったのですね。
私の場合は、見栄を張らず甘えることを恐れなくなってから、資産形成をスタートできるようになりました。
資産形成の記事らしくない内容ですが、自分の問題が思いがけずブレーキになっていたケースもあるということでご紹介させていただきました。
お読みいただきありがとうございました。
ではでは。