これからの学びについて考察したら、混沌としてしまった
nicoと申します。
よかったら下記からプロフィール記事も読んでやってください。
研修や学習を企画する際に、学んだ内容を使ってこう行動してほしいということを考えるのですが、まあそううまくはいきません。
自分の個性になるのは
結局個性とは、企画された学習機会以外の、自分自身の経験や学びなのですよね。
たとえば、私が今の仕事をできているのは、実学とは正反対の大学の専攻だったり、イラストや漫画を描くという趣味だったり、データベース構築やインターネット回線引き込み手配の仕事経験だったりすると思うのです。
タイムパフォーマンス最優先の若い方たちに、学習の道筋を提示するとそれだけをしていけばよいのだと思われてしまうのではないかと危惧しています。
道はたくさんある
学習法も同じ内容をいくつか用意して、自分にフィットするものを選べるようにして、道筋はたくさんあるのだということを示す必要があるのかもしれません。
私の情報処理は完全に文字優位なので、最近の学習コンテンツが動画ばかりになっているのは正直苦手です。
スクリプトが読めるものはほとんどそちらを読むことで理解しています。
昔はテキストばかりだったので私にとっては楽でしたが、逆に苦労していた方が多かったのでしょうね。
同様に、会社で求められる結果を出すための方策はひとつではないということを伝えなくてはならないのだろうと感じます。
将来に期待できない国にしてしまった自分たちの責任
こんなにも若い人たちが時間が足りないと感じ焦っているのは、将来に期待ができないからなのでしょう。
このような状況にしてしまったのは親の世代である私たちの責任だと痛感します。
彼ら彼女らと私たちでは、見えている世界がまったく違うのだろうなあ。
コスパ、タイパ優先で、結局皆と同じことしかしてこずに個性が発揮できないでいると真っ先に淘汰されてしまうよ、と言いたいのですけどね。
なのに、均一的な学習プログラムを作っている矛盾。
しかもこんな世界にしてしまって。
変化が激し過ぎて、私たち世代の経験は今シェアしてもほとんど意味がないし。
なんか、ごめん。
って感じです。
若い人たちに希望を見せてあげられなくて。
再現性なんてない
コンピテンシー(ハイパフォーマーの行動特性)をいくら学んでも、そのとおりに行動できる人が限られているように。
私も借金があったのにここまで持ち直せたことや、抑うつで退職したのに今は別の会社で正社員になれていることなどが誰かの役に立てばよいなと思うのですが、自分の経験に加えタイミングや運がよかったと感じることも多く、再現性がないのです。
これからの学びはどのようなものになっていくのでしょうか…。
お読みいただきありがとうございました。
ではでは。