生きることを素晴らしいと思いたい
nicoと申します。
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生きていくうえにおいて、私は確かに根本のところで「大丈夫、なんとかなる」と信じていると思うのです。
世代的な楽観主義なのか?
幼少期が高度成長時代であり、大学から就職の時期にバブル景気のピークが重なっているので、今日より明日はよくなるという空気は知っています。
ただ、男女雇用均等法が施行されたにもかかわらず形式的なものであったり、結婚や出産のために退職する女性には退職金の割増があったりと、女性の社会的マイノリティさは今と比較にならないほど感じていました。
そういう意味では、下の世代から言われるほど呑気ではなかったのだけどなあと思うのですが。
個人的な資質なのか?
生きるために無理くり「なんとかなる」と思い込もうとしてきたきらいはあります。
中学生の頃、誰とも話せない毎日を過ごしていたとき「早く中学を卒業してこの莫迦みたいな状況から抜け出したい」と思っていました。
心因反応で仕事を休職したときも「早く仕事を変わろう」としか考えていませんでした。
サイコパスな上司がいた頃は「上司はあと〇〇ヵ月で定年でいなくなるのだから」と指折り数えて待っていました。
時間が経って状況が変わりさえすればなんとかできると、私は思って生きてきたと思うのです。
何をしても報われないとしか感じられないとしたら
そのように感じている人が世の中には多いのでしょうか。
「何をしてもどうにもならない」と考えている方のお手伝いは難しそうだなと考えてしまいました。
少なくとも「なんとかしよう」と思ってくださらないと、一緒に対策を考えることも難しそうだし、考えたことを実行してもらえない気がします。
現状維持の難しさ
これ、何度か書いてきたと思うのですが、変化せずに現状維持することほど難しいことはありません。
自分が変わらず同じことを続けているつもりでも、周囲や状況は変化するので、結局後退することになります。
だから、少しずつでも前進しようとしてようやく現状維持なのです。
逆を言えば、現状維持できているということは周囲についていけるだけのブラッシュアップはできている、ということだと思うのですが。
年齢を重ねて、私はだんだん楽になってきたから
自分の好きなように生きようと開き直れる人が増えるといいなあと思います。
今日の記事のタイトルは甲斐バンドの曲の歌詞の一部ですが、私の気持ちはこうなんです。
同じように考えてくれる人が少しでも増えるよう、何かお手伝いができるとよいのですが。
お読みいただきありがとうございました。
ではでは。