24/10/25 2:30 移り気な色
僕は映画館で映画を観るよりも、夜道、もしくは朝の早い時間に散歩するほうが好きだ。映画の演出は音が五割、という言葉をどこで聞いたか忘れたけど、それならば夜道の散歩が映画と比べられるのはそれ程おかしくないはずだ。一定のリズムで擦れる靴の音や、心地よい虫の鳴き声、たまに通る車のエンジン音。季節の匂い。夜はひとりになって寂しいようだけど、不思議なことに、一番勇気が湧く時間帯だ。だからこうして文章が書ける。
最近は紅茶を試している。
以前から珈琲をよく飲んでいたけれど、それに少し飽きてしまって、紙の本から、たまには電子書籍を試してみるみたいなことをした。でもやっぱり紅茶は苦手だ。渋いものを食べたようなあの後味も、煙ったいような味も悪い。いまのところ飲めるのは、蜂蜜味のものだけだ。僕が気に入っているもうひとつの温かい飲み物は、ほうじ茶だ。
絵を描くことが趣味になった。
ここまで踏み込むのに数年かかってしまった。いまでも色選びには悩まされる。見たままに描けばいい、というのは結果論で、選んだ色がたまたま"見たような色"と一致しただけだ。しかし、色の選択肢は限られている。明るさや彩度、色相(赤、青、黄、緑...とかの違い)を変えるだけだから、大雑把に言えば8分の一だ。だいたい8回で、それらしい色に近いものが見つかる。
まあでも、「みたまま」が答えの一つとして提示されていることは間違いない。写真があれば、簡単にスポイトツールで色を確認できる。しかしここで注意しておきたいのは、写真から採取する色だけが正解でもないということだ。同じ色でも周囲の色が異なれば、同じ色には見えなくなる。鮮やかな色が鮮やかなのは、その周りに鮮やかな色がないからだ。
未だに色選びには苦労する。現実的な色になったって、それに納得できないこともある。ひとつひとつの色を慎重に選んだあとには、それらを一色に圧縮する作業がある。複雑な色構成を見せたところで、伝わらなかったら意味がないからだ。それに、単純なことのいいところは、素早く簡単に伝わるところにある。印象も強くなることだってある。人間はそう複雑なものを覚えていられない。
僕が知れた僕のことや、絵に思うところを書いてみた。
この文章は気まぐれに書いていて、習慣がないから慣れていないし、修正もしないからひどい文章になっていると思う。それでもこれは、僕にとって日記として残す意味がある。正直言うと、自分の文章を正しく修正する方法を僕は知らない。
また落ち着き払って書こうと思えた夜中に書き残すと思う。
またね。