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正しさの押し付け合いでは何も解決しない

こんにちは、響心(にこ)です。

本日は終戦の日ということで、
思想強めの話に心理学を絡めながらお送りします。
長くなってしまったので
お時間ありましたらお付き合いください。

正しいか、間違えているか?
の二択って、実はすごい危うい考え方です。

そもそもこの世のすべてが
線引きしてキレイに分けられるものではない
からです。
すべてはグラデーションだと、私は思っています。
(これを知っておくだけでも
ちょっとラクになれるかもしれません。)

人の心は、特にそうですよね。
単純に白黒がつけられたら人は悩みませんし、
逆に言えば、悩むからこそ人間だとも言えます。
悩まないのが理想なら、人間でなくロボットで十分ですから。

ただ、学校の勉強で正解を求められるからなのか
私たちは普段から「正解」を求めがちだし、
その傾向は近年ますます強くなっていると感じます。

正解至上主義
間違えた人を許せない社会
コスパ、タイパ重視
など。

ネット上でも顕著ですが、
親子関係、男女関係、友人関係など
リアルな関わりの方が
正しさを引き合いに出す傾向は強いかもしれません。

そして厄介なのは
絶対的な正解がないこと、そして
そのことをわかっていない人が案外多いことです。
人によって正しさの基準は違うのに、
自分の正しさ=世間の正しさだと思っているのです。

だから、お互いの正しさが噛み合わなかったときに
衝突が起こります。

衝突したときにやりがちなのは、
どちらかに合わせてガマンしてしまうこと。
どちらかがガマンすれば
衝突は早い段階で回避できますが、
ガマンには限界があるのでいつか破綻します。

理想的なのは、
お互いの価値観を認めることです。

価値観を認める、というのは
自分と相手の考えがちがうことを認める、ということ。

私はこう考えている。
あなたはそう考えている。
まずはそれを知ることが大前提です。

相手の考えを知り、尊重できるようになると
自分の正しさからの視点だけだったこれまでよりも
視野が広がります。

まあそれがむずかしいから
人はぶつかるんですけどね。

それに、こんなこと書いておきながら
私自身もこれまで
正しさを押し付けてしまったことは
たくさんあります。
価値観を認めて共存していくやり方は
今もトライ&エラーで模索中です。

でも、その模索していく過程も
意外と大事なんじゃないか?と思います。
自分の思い込みに気づくきっかけになったりもします。

そしてこれは、人対人だけではなく
国対国にも言えることだと、私は思っています。

紛争や戦争が起こるのは、
様々な背景や要因はあれど
相手に自分の正しさを押し付けて
押し通そうとしている、
という点は共通していると思います。

「戦争のない世界」なんて、綺麗事なのかなぁ?
国同士でも、お互いの価値観を認めることができたなら
それも夢ではない、と私は思っています。

これから先、日本が過ちを繰り返さないよう切に願います。
そして、戦争のない平和な世界が訪れますように。

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