愛とか心とか。

私は無知であった。

18歳まで自然豊かな片田舎で育ち、学校からの帰り道にある商店のおじちゃん、おばちゃんとは大体顔見知り。両親は生まれてこの方現在までふたり揃っており、父親は長年同じ職を全うし、ありがたい事にその真面目さと優しさで地元でも慕われる存在として職業人生を送ってきた。(らしい)

私はそんな父と専業主婦の母の元、スクスクと育てられてきた。たまに厳しいけど優しい父。当たり前のことだけど、人様の悪口噂話は絶対に口にせず、一瞬たりとも子供の耳には入れないように努めてきたとても賢き母に育てられた。

離れて暮らしていたけれど、叔父や祖父母もしつけには厳しく、とにかく「誰かのことを想うこと」をその躾と教えと背中から、沢山たくさん学ばせてくれた、良識と人望と人脈と、そして何よりも恐れ入るほど誰に対しても平等で親切で真心があり、誠実さと見識を持った、愛情の塊のような人達に見守られながら大人になってきた。

私は、親友と出会い、腐れ縁の友達や今でも家族ぐるみで繋がる幼馴染、学校帰りに気軽に立ち寄れた商店が立ち並ぶ自然豊かな地元が大好きだ。進学で地元を離れても、大人になって縁が薄くなっても、未だに地元がとても好きだ。


多分それは、両親以外のたくさんの人たちからも愛情を貰い、優しく温かく見守ってもらい、愛情深さや優しさ、人を思いやる心や敬う気持ち、そういうものを沢山たくさん教えてもらってきたからの今があるのだと思う。

私はよく、いろんな事に感動をする。

良いと思ったことは素直に良いと言葉に出し、

素晴らしいと思うものに出逢うと、心が震えて深く感動をする。

そして、感謝の気持ちを持ちがちだし、人の優しさもよく心に滲みる。


そんな私が、「何を言っているんだ?」と思われてしまうかもしれないけれど、コロナ禍で生活様式が一変した最近、ニュースやワイドショーなどを通じ「大事な人を思おう」「大切な人のために」「思いやりを持って」(外出自粛をしよう!)という言葉を聞く度に違和感を覚えてしまう。

先程書き記したように、私は有難いことに幼い頃から多くの大人たちの善良な心に守られてスクスクと育ってきた。

だから、18歳で上京し、色んな人に出逢うまで、私はとても無知で物知らずで、経験も世界も狭く、あまりにもモノを知らなかった。

そんな私が思う小さな「違和感」。

一見恵まれたとされる環境下で育ってきた私がこれを語るのも、「何を言っているの?」とお叱りを受けるかもしれない。いい気持ちにならない人もいるかもしれない。

けど思う。

多くの人が「優しさ」「思いやり」「家族愛」「親は大切に」「あなたにも大切に思う人はいるはず」「大事な人のために頑張ろう」。それが当たり前で、「正しく」て、それをしない人を“冷たい人”とでも言うかのような目で見てしまう世の中で、違う誰かが傷付いているのではないか?と最近よく思う。

そういう存在がいない人は?その経験が、ない人は?

そんなことを、とあるコメンテーターの呟きと、本日逮捕された方の記事を目にして思う。


#note #niconote #初投稿 #コロナ禍について思うこと

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