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私の?海と夢

夏らしくなってきた
今日この頃
あー海に潜りたい

あーでも今お腹が痛い

ジャック・マイヨールは
海の事を母なる海「子宮」
と言っていたと思う

彼は、幼少期日本住んでいた
それを知ったのは、
ジャック・マイヨールの海と夢
を見て知りました

日本で海に潜る事を知り、
フリーダイビングで
世界で初めて100メートル
潜った人

それを知ったのは、
映画『グランブルー
監督:デュックベッソン
グランブルーはフランス語版
ザ・ビック・ブルー
英語版
グレート・ブルー完全版
内容は、ほぼ同じだょ
でも全部見た

これを見て
ブルーの世界に魅了された私は
スクーバダイビングを
初めてしまいました

ウエットスーツ
BCジャケット
重り
レギュレーター
シュノーケリングセット
流石にタンクは買わなかった
全部で50万くらい

話が逸れてしまいました

そして、
ジャックマイヨールの海と夢
を観て、本当に
この人は、海が好きで好きで
たまらないんだなぁ
と感じました
ヨガと呼吸法をで
深海に潜る練習をしていた
もっともっと
フリーダイビングで
深海に
行きたかったんだろうなぁ

ジャック・マイヨールは
イルカに泳ぎを教えてもらった
と言っていた
まるで、イルカと話せている
んじゃないか?
と思わせるところ

動物と人間の隔たりが
無くなったんじゃないか?
と思わせる
映画『グラン・ブルー』
では、そんなシーンが
出てくる

映画『グラン・ブルー』
大抵の人は
エンゾが好きだと言う
ジャック・マイヨール
は、変わった人にしか見えない
でもねぇ
私も、最初はそうだった
エンゾが人間らしく
ドラえもんに出てくる
ジャイアンみたいな
分かりやすいキャラ
エンゾ役は、有名なジャン・レノ
英語があんなに
下手だと思わなかった

数年前?にドラえもん役
やってた時
絶対ジャイアン
なんだけどなぁ
と思ったことがあった

また話が逸れちゃった

ジャック・マイヨールは

最後は鬱病になり

自ら命を絶ってしまう

それでも、私は
ジャック・マイヨール
が好きです

あの素敵な笑顔が忘れられない

いつか会えたら・・・・
と思っていたけど、
会えなかった(泣

私は、ジャック・マイヨール
のお陰で
海の素晴らしさを知りました

グアムのブルーホールで
初めて、深海40メートル
潜った時(スクーバダイビングで)

深海の青と
自分の出す泡の空気
すごく美しかった
自分が人間である事も
一瞬忘れた
のが今でも忘れられない

クルーザーが走ると
イルカ達が
やってきて
ピョンピョン跳ねて
ついての来ていた

シュノーケリングが
上手に出来たら、
一緒に泳ぎたかった

まさしく
ジャック・マイヨールごっこだ!

ジャック・マイヨールは、
4歳の時、
母親に初めて
水とのつき合い方を教わる。

10歳の時に、
佐賀県唐津市の
屋形石の七ツ釜で
はじめてイルカと出会い、
その後の生活の原点となる。

12歳で一家で
フランスのマルセイユに移住。
17歳で父の設計事務所
で働きながらバカロレアを取得。

高校を出ると
北極圏でイヌイットと
暮らすなど、
以後コペンハーゲンを
起点に旅を繰り返す。

22歳の時、
ヴィブケ
・ボージュ・ワズショルド
との間に長女ドッティを
もうける。

正式な結婚は
後の25歳の時、
コペンハーゲンにて
執り行われた。

その後水夫として
カナダのアルバータ州、
アメリカのマイアミに移住。

その間、レポーター、
ジャーナリストとして働き、
長男ジャン・ジャック
が誕生する。

フロリダでは
フランス語系新聞の
手伝いやラジオ番組の
リポーターを務めながら、
マイアミ水族館で働く。

そこで1957年にイルカ
の調教を担当したことから
水中での泳ぎ方などを体得。

その後水族館を
退職しカイコス諸島に移住、
素潜りによる
伊勢エビ漁を島民に教える。

その頃になると
周りの勧めで
フリーダイビングに
挑戦するようになり、
1966年にハバナにて
60メートルを記録したのを
皮切りに
エンゾ・マイオルカと
共に記録合戦を繰り広げた。

1973年、
イタリアに居を移し、
10余りの潜水実験に参加。

それにより数十メートルの
深度で
フリーダイビング中の
マイヨールの脈拍が
毎分26回になっていることや
赤血球が著しく
増加していることが、
スキューバで潜った
医師によって測定
されたこともある。

1976年11月23日、
エルバ島にて人類史上初めて
素潜りで100メートルを
超える記録をつくる。
この時49歳であった。

ウィキペディアより


「ジャックマイヨールの海と夢」

ジャック・マイヨールは
1976年、
49歳のときに
人類史上初めて素潜りで
100メートルの
潜水に成功している。

本作ではその偉業を
達成するまでに
彼がどのような道のりを
たどったのかを
丁寧に追いかけている。

子供のころに日本の海で
海女の素潜りを見たことが、
ダイバーを目指す
きっかけになったこと。

そのころから彼は
日本との縁が深く、
日本人の友人も多く、
禅寺における座禅を
経験したこと。

そしてヨガで
呼吸法を学んだこと。
これらの要素が、
息を止めたままの長い
潜水に力を添えたのだった。

21世紀に入ってから、
パルクールやウィングスーツ、
スカイダイビング、
フリークライミングなどの
エクストリームスポーツが
注目されるようになった。

これまでの常識では
まったく測れないような、
人間の限界を越えた
能力が発揮されている
この分野の広がりを見ていると、
身体的な能力が
ここに来て急速に
拡張している感さえある。

「ジャックマイヨールの海と夢」レビューより

あぁーーー
潜りたくなった!
もう10年以上潜ってない💦

…………………
自己紹介
noteがスキ❤️になってきた。より

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