でんぱ組.incがエンディングを迎え、大人になれない僕
絶対にでんぱ組.incが必要な瞬間
でんぱ組.incにハマったり、距離を置いたりを繰り返してきた。
ずっと全力で応援し続けてきたファンの方々には恐縮なのだが。
とはいえ、僕にとって「絶対にでんぱ組.incが必要な瞬間」が人生に存在した。
それも複数回。
どんなタイミングででんぱ組 inc.が必要になるのだろう?
僕にとってそれは、「社会にうまく接続できなくなった時」だった。
「女の子と付き合っても長く続かない」
「あれ、どうやって人のことを好きになるんだっけ?」
「友達のことは好きなのに、なんだか最近誰とも会いたくないなぁ」
人と真剣に向き合えなくなった時、気がつくとでんぱ組.incが聴こえてくる。
『なんとかなんとかなるなる!なって!』
社会に接続し、傷ついて離れ、でんぱ組 inc.を聴いて回復して、また社会に接続する。
これを繰り返し続ける中で、僕は少しずつ「自分と社会の間の適切な距離感」を探り当ててきた。
SNSで育まれる「君と僕との物語」
僕がアイドルを好きでよかったと思える理由に、「相手との距離感を自分でコントロールできる」ことがある。
どういう意味か。
2024年現在、アイドルとオタクを接続するメディアは、もはや数え切ることができない。Youtube, X, Instagram, Tiktok, 数多の配信サイト…
もちろん、ライブや特典会のようなリアルのイベントだって、広義のメディアの1つだ。
これだけたくさんのメディアがあると、1日の5時間や6時間を1人のアイドルに費やすことだって、そんなに難しいことではない。
SNSの普及によって、ファンは「アイドルと限りなく長い時間を共有すること」ができるようになった。
「もっと君のことを知りたい!」
ファンのこんなおねだりに応えてくれるアイドルは、自分の時間のほとんどを切り取り、動画、写真、イラスト、ブログ、ポストなど、様々な形でファンに共有してくれる。
もちろんファンも、いろいろなSNSで片っ端からアイドルをフォローして、全てのポストに「いいね!」を付ける。リプライを送る。インスタのストーリーもチェックする。Showroomも最初から最後まで見る。
アイドルが「手の届かない存在」だったのは遥か昔だ。
SNSの登場により、アイドルとアイドルファンは、「君と僕との物語(君:アイドル、僕:アイドルファン)」を一緒に育む関係になった。
「現実の彼氏や彼女のことよりも、『推し』についての方が知っていることが多い」というアイドルファンも少なくないのではないだろうか?
伸縮する距離感
とはいえ、「君と僕との物語」を育むのは、リアコミュの男の子、女の子とだってできる。
恋愛だって、友情だって、究極的には「君と僕との物語」をどのように育むかの形態の1つだ。
でも、アイドルと育む「君と僕との物語」は他の物語と決定的な違いがある。
それは、「『君(アイドル)』との距離を、『僕(アイドルファン)』が自在にコントロールできる」ところだ。
自分の時間のほとんどをSNSで共有してくれるアイドルに対して、僕たちアイドルファンは、アイドルと繋がるメディアの数を調整することで、「アイドルと自らの距離」を自在にコントロールできる。
「社会にうまく接続できなくなった時」、僕はその穴をアイドルで埋める。
「君と僕との物語」は急速に育まれる。
時間が経って、僕は再度社会との接続を試みる。
アイドルと繋がる時間が少しづつ失われていく。
「君と僕との物語」は、いつの間にか更新されなくなっていく。
僕にとってのアイドルは、「自分の裁量で相手との距離を調節したい」という望みを叶えてくれる存在だった。
現実の社会と比べてみると
「自分の裁量で相手との距離を調節したい」というのは、自分のことながら、とても「子供っぽいわがまま」だと思う。
現実の社会では、自分の一存で相手と一度離れた後、再度関係性を深めることは基本的にできない。
3-4回デートでご飯に行って付き合わなかったら、そこで「物語」は終わり。(少なくとも僕の中では。)
3年間疎遠だった親友と、以前より仲良くなるなんてこともありえない。(少なくとも僕の中では。)
本来「君と僕との物語」は一方通行だ。
後から戻ってきて書き足すことはできない。
その不自由さを「楽しい」と感じるか、それとも「息苦しい」と感じてしまうのか。
少なくとも僕は、息苦しく感じてしまう瞬間の方が多かった。
大人になれなくて
離れても、いつでも戻ってくることができた。
なんせ、でんぱ組.incは16年も休まず活動し続けてきたのだ。
でも、来年の1月5日にでんぱ組.incはエンディングを迎える。
もう、戻ってくることはできない。
「君と僕の物語」は、もう更新されない。
「自分の裁量で相手との距離を調節したい」という「子供っぽいわがまま」を叶えてくれる存在は、もういない。
そろそろ、大人にならなきゃいけない。
目の前の「君」と真剣に向き合えるようになろう。
目の前の「君」を大切にしよう。
勇気を出して、「君と僕との物語」を育んでいくのだ。不器用でいいから。
それが大人になるということだと思う。
<参考文献>
宇野常寛(2017)『母性のディストピア』集英社.
野村一夫(1998)『社会学感覚』文化書房博文社.
三宅香帆(2024)『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』集英社.
文責 : Nico (X : @nico_hibari)
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