子供の世界は不自由から始まるのだ
5歳になった次女は、生活のほとんどを自分で行うことができる。ご飯はお箸やスプーンを使って食べることができる。毎日お気に入りの服を選んで、一人で着替えることができる。まだ大人の仕上げが必要だけれど、歯磨きも自分で上手に磨くことができる。最近では、お風呂の時に頭や体を自分で洗うようになった。寂しいからと、扉の外で待たされるのだが、一人でお風呂に入る時もある。
そんな次女だが、やはりまだまだ子供。
お箸やスプーンを使ってご飯を食べることはできるけれど、口の周りに何かついているし、お皿からこぼしてしまうこともよくある。お着替えもできるけれど、大人と比べたら少し時間がかかってしまう。前後ろが逆になってしまうこともあるしね。歯磨きだって自分でできるけれど、奥歯や歯の裏側はまだまだ上手に磨けない。頭も体も一通り洗えているけれど、しっかり洗えているかは分からない。
こうして子供が成長してくると「できる」ことが当たり前に思えてしまうけれど、大人と比べるとまだまだ上手にできないことの方が圧倒的に多い。分かってはいるのに「できる」と思っているから、できなかった時に「なんで?」とイラ立ってしまうことが時々あるのだ。
お箸やスプーンを使い始めたばかりの子供は、当たり前だが上手に使うことができない。いわゆるグー持ちでスプーンを握り、食事を口へ運ぼうとしても口ではなくほっぺにぶつかってしまう。顔までいかずに食べ物がスプーンから落ちてしまう。ぎこちなく動く手で、何度も口へ運ぼうと挑戦するのだ。
以前どこかで見た記事に、子供の成長についてこう書かれていた。
なにかをし始めた子供が上手にできないのは、大人が利き手と逆の手で動作をしているのと同じくらいやりにくさを感じるからだ。
なるほど。それは上手にできなくて当然だ。そんな不自由な状態で一生懸命挑戦したことがすごいじゃないか。そんな不自由な世界から、少しずつ練習を繰り返して上手になるんだね。
大人が当たり前に見ている世界に比べて、子供の世界は不自由でいっぱいだ。
子供の目線は大人よりもはるかに低い。もちろん視野だって、上下左右大人の60%程度しか見えていない。手の大きさも力も全然違うから、たくさんのものを掴むのは難しいかもしれない。利き手すら上手に使いこなせないのに、指先を使うなんてすごく時間がかかって当たり前だよね。言葉の意味だって、読み書きすら完璧にできないのに全てを同じように理解するなんて無理だ。だから色んな事を覚えようと「なんで?」「どうして?」と次から次へと質問してくる。体がまだまだ小さいから体力だって少ないのに、同じように歩こうと必死に後をついてきてくれる。
不自由な世界でもそうとは思わせないように必死に頑張っている。
5歳になって「成長したな」と思うけれど、次女はまだまだ不自由な世界で生きている。「なんでできないの?」「なんで何回も失敗するの?」と思うのではなく、できるようになったこと、何度も挑戦する勇気を見つけてあげよう。
そんな次女は、大好きな牛乳を飲みながら今日も口の周りに白いおひげができている。
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