クジラ売りのおじさん
小さい時、1960年代の頃、家に鯨の肉を売りにくるおじさんがいた。
当時は車はまだ一般的ではなく、おじさんは天秤棒の前と後ろに木の桶を吊るして担いでやって来ていた。
購入したクジラ肉は最初は生のまま醤油につけて食べる。
油がとろっとしてとても美味しかった記憶がある。
次の日とかは、野菜と一緒に煮て食べていたような気がする。
小さい時よく食べたクジラ肉、大きくなってからは食べる機会もなく、
一度だけどこかで食べた気がする。
でも小さい時に食べたあの味には出会えなかった。
それにしても不思議なのが、おじさんはどこから持ってきていたのだろう?
我が家は海からは程遠い山の中、しかも村の集落から更に奥に入ったところだ。
戦後外地から復員した父は農家の次男坊なので、当然家や土地は長男のもの。
なので耕す畑もなく、それで開拓農民になったのだろう。
クジラ売りのおじさんは海から棒で担いで来たのではなく、リヤカーで集落まで持ってきて、そこから更に山奥の我が家には小分けして担いで持ってきていたのか?
グーグルマップで、海から歩いたとしたら10時間と表示された。
その距離を歩いて持ってきているとしたら、保冷はどうしていたんだろう。
氷はすぐ溶けてしまうし、藁ででも覆っていたのだろうか。
ふと”おしん”を思い出した。
田中裕子演じる”おしん”もリヤカーで魚の行商をしていた。
氷とか積んでる様子はなかった。
インターネットで調べてみると、今も続いている魚屋さんが、
初代が和歌山からクジラ肉を仕入れて天秤棒で担いで行商していたという歴史が書かれている。
今みたいに温暖化が進んでいない時代だったので、冷凍なしでも大丈夫だったのだろうか?
さて、時代は高度経済成長期、東京オリンピックも開催され大きく時代が変わった。
”おしん”もリヤカーから車の行商に変わった。
天秤棒を担いでクジラ肉を売りに来るおじさんを見ることも無くなり、代わって車で豆腐や雑貨などを売りに来るおじさんになった。
今日では、世界的な捕鯨禁止でクジラの肉を食べるという週間もなくなった。
小さい時に食べたあの味は記憶の中にだけ存在する。