諏訪大社の夢
もう20年くらい前の話。
私は夢を見ました。今でも鮮明に記憶に残る夢です。
どこか見知らぬところの神社にいました。そこには拝殿に行くまでの途中、アーチの橋(太鼓橋のような)があり、朱色ではない神社です。橋の両端には四つの丸ではない、ドラクエのスライムみたいな形のものがあり、森の中にあるような決して小さい神社ではなく、森の木々も高々と成長し、とても静寂な場所。
その橋から、拝殿であろう場所の方向を見ると立派な門があり階段などなく、緩やかな坂に石畳が見えていました。そうしていると拝殿がある方向から大量の水が流れてきて、私はその橋のスライムみたいなものにしがみつき、水圧に耐えていました。しかし不思議ながら恐怖はなく、夢から覚めて『あれはどこだったのだろう...ご縁がある神社かも知れない...』と行く先々で神社を気にするように見ることが多くありました。過度には巡っていませんが。自分の夢と照らし合わせていたのです。
しかし、かなりの時が経ち、インターネットの発展のおかげで『諏訪大社』の画像を見る機会がありました。『あっ!(ゾワッ、鳥肌が立つ感覚)』そうです。その20年ほど前に見た私の夢は諏訪大社だったのです。だけどすぐに行ける距離ではない(1000kmほど離れている)ため、確信までは至っていません。ではなぜ諏訪大社の画像が出てきたのか、疑問を持たれる方もいるでしょう。
私は歴史や信仰に詳しくはありません。ですが自分の興味があることについては、自分が納得するまで、とことん調べるという性格があります。私は最近非常に興味がある『自然崇拝』について調べていました。そこで『諏訪大社』がヒットしたのです。
自然崇拝に辿り着くまでに、前にもお伝えしました、パワー不足の時に行うことの1つに、グラウディングがあります。それは樹齢があればあるほど、古ければ古いほど、良いです。巨木を見つけてはその生命樹に触れ、良い呼吸法を行う。自然の力をいただく。そこから派生した考えから、神、守護、ハイヤーセルフ、インナーチャイルド、太陽、月、星、自然、生物、精霊、天使、霊...... スピリチュアルのことを調べればこういった様々な言葉が出てきます。あくまで現代の言葉です。原初では何と呼べばいいのかわからないから、人間が創り出した言葉です。それは人間に伝わるように。それか想像を超えた、遥か昔には、そう言われる方々と人間が繋がっており、共生、共存していた、 とも考えることができます。 両者どちらにしても『存在する』ということです。目に見えている存在も、目に見えない存在も。
話は長くなりましたが、真髄は『神』が1人なのか?と疑問に思ったのです。一神教なのか?多神教なのか?そもそも存在(実在)した人間なのか?
考え、感じて、私の中で、答えが出つつあります。
今まで歴史などに興味がなく、学ぶ機会を自らなくしていた人間なため、先入観がなく上記の謎が生まれたと解釈してください。
『自然崇拝』
この記事を最後まで読んでくださってありがとうございました。興味が少しでも湧いてくれた方、自然崇拝について調べてみてください。
※私は現代に存在する、宗教を否定しているわけでは全くありません。そこはご理解ください。事実と真実、両方の目線であくまでも個人が、客観的に静観して見ております。歴史は歴史なのです。ありのままなのです。
何卒よろしくお願いいたします。