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セックスの単価 vol.11 -パパ活市場の肥大化に伴う弊害と警鐘-

本日は、パパ活の話。
CPSの観点からみたパパ活については別に述べる。
本日は雑感を述べるのみであり、興味のない方はここで読み終えて頂きたい。

パパ活市場は一時期の過熱を過ぎ、落ち着きを見せつつある。
市場としては成熟期を過ぎ、今後の在り方が問われている時期であろうか。

需要と供給がある限り、そこに市場は成立する。しかし、一般大衆に浸透しきった今、根幹を揺るがすような事件が起きてもおかしくはない。
パパ活の主戦場であるサイトやアプリでは、大学生の女性会員も珍しくない。男性にとって未成年の女性への飲酒誘導やセックスは犯罪行為に当たり、男性の危機管理能力が問われるのみならず、女性側も体を張る以上、いつ何時襲われるか分かったものではあるまい。
素人が寄せ集まって市場を形成していることで生じる「歪み」が、群がる男女にとっては甘い蜜となるわけであるが、その「歪み」が解消されつつある今、果たしてそこに群れ集まる価値があるのだろうか。

パパ活、そのルーツは愛人稼業にある。
市場の初期形成段階では、一部の特殊なスキルをもった女性達と富裕層だけの活動の場であった。それぞれ危機管理能力に長けた男女が、独特のルール、また暗黙の了解の元で活動を行っていたため、今よりも安全であった、という仮説はあながち間違いではないであろう。
「愛人を囲う」という行為は、古今東西珍しくもなんともない。しかしそれは、ある程度「選ばれた人間同士の道楽」であるべきであったのであろう。マス層にまで伝播した今、その道楽はもはや道楽ではなくなった。果たして市場化すべきであったのか、それを今更考えても仕方の無い話である、が。

年収500-600万円程度の家庭持ちの男性達は、本来愛人を囲うことは出来ない。そこで彼らは、愛人ではなく身近な不倫相手を探す。愛人と不倫相手の違いは別に述べたいと思うが、同じ婚外セックスと言えど中身は全く異なる。辿り着くべくして不倫に到達した一般大衆の男女は、不倫という比較的高リスク環境の元でそれぞれの活動を行う。不倫がリスクの高い環境たる由縁は、素人が何の取り決めや心構えもなく行っていることであろう。
一方、愛人稼業はそもそもリスク環境が異なる。本来、愛人稼業はリスクマネジメントを最大前提としたものであり、それが故に安心して婚外セックスに勤しむことを可能とする。いわゆる、餅は餅屋、である。
男性にとって愛人女性は、妻とはまた異なる心の拠り所である。本来は長きに渡って関係を築き上げるものであった。銀座のクラブが永久指名制であることもそれを裏付ける。例えそこにセックスはなくとも、長期にわたる関係性が更なる信頼関係を生む。
これらの一連の活動は、並大抵の稼ぎでは出来まい。しかし、愛人稼業の俗世化、いわゆるパパ活の普及が、それを一般男性にも可能にした。また、一般女性の大量な流入により、リスク環境を格段に悪化させた。
パパ活は今や完全なる俗物である。不倫斡旋稼業であり、愛人稼業ではない。現在パパ活に関わる男女のほとんどが、自分が果たしてどういったものに関わっているのかすら理解していないであろう。過日の新潟県知事の報道も例に漏れず、である。男性は眼前のセックスに、女性は金銭に目が眩んでいるに過ぎまい。

パパ活市場は衰退の一途を辿るであろう。消えかけの灯火に群がり、さほど甘くもない残り液を吸うのは自らの勝手である。

我が身を守るのは、自分自身しか居るまい。

椎名

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