自作品解説

先日の記事で作品の解説などしてみようかと書いたので、とりあえずいくつかの作品について思っていたことを書いてみたいと思います。
作者の言葉は読者の感想のひとつであり、解説したことが答えではないとは思いつつも「こいつこんなこと考えとるんか」と何かしらの参考になればと思い、蛇足かもしれませんが書いていきます。よろしければお読みください🙇

最初に少し古い作品について触れたいと思います。

まずはこちらの作品から。
エチュードとは、音楽の練習曲を表す言葉とされています。その名のとおり、練習のために作った作品です。noteを使い始めた初期の作品で、これを書いている5/22段階でもほとんど読まれずにいる作品です(笑)
この詩の舞台は私が大学の四年間を過ごした小さな街です。そこで過ごした大学生活を追想しながら書いています。今見ると、やっぱり久しぶりに書いているためかまだまだ表現に改善の余地があるように思います。まさに練習中の作品です。

じゃあこの作品のどこが練習作なのかと言うと、表現すること自体の練習もさることながら、各行の終わりの言葉の母音を合わせる練習でした。
全部で5連の構成ですが、第1連は各行の最終母音が「a」、第2連は「i」…そして第5連の「o」の音まで、いわゆる「韻」を使う練習作です。(練習するなら言葉を繰り返すのは今さらながらどうかとも思いますが、何卒ご容赦を…)

実は作品をnoteに一本化する前に、別の投稿サイトにもこの作品を投稿していました。ですが、やっぱり韻の部分はあまり気付かれてませんでした(笑)
以前は友人の作った曲に詞を書く機会が時々あったので、そういう方向にも使えるものを作りたくなった、というのも背景にあります。きちんと音を合わせているわけではないので詞にはなりませんが、ゆくゆくはきちんと音の数を合わせつつ、韻を使えたらまた違った面白さを持って作品を書けるかな、と思って書きました。

作品にいわゆる「制限」を与えることはときに表現するのが難しくなることもありますが、場合によってはその制限が作品を洗練してくれることもあると思います。
いわゆる定型詩はその最たる例ではないでしょうか。
短歌や俳句とかも、私は定型詩の一つだと思っています。短歌や俳句を書かれる方って素敵ですよね✨
折句・沓冠等にも憧れがあります。いずれそういった隠れた意味を持たせつつも作品のレベルを上げることができたら楽しそうだなーと思うところです。

上の作品での練習の後に、音の数に気をつけながら書いた作品もいくつか書いていました。その中の一つが下の作品です。

この作品は歌詞を書くようなイメージで書いています。曲は特につけていませんが、書きながら何となくメロディーが出てくるような感じがありました。音の数もある程度合わせられたかな、と思っています。
(ここで言う音の数は音節で考えるべきなのか、それとも拍で考えるべきなのかはきっと各論あるのかもしれませんが…そこはゆるっと読んでいただけるとありがたいです💦)
中身としては自分の中に棲む後悔の数々を捨てられないながらも、それでも自分の言葉を書いていきたいな、という気持ちを描いています。でも、言葉にすると何故かありふれたものに見えてしまう。自分の中で感じていたジレンマです。
「手垢のついたフレーズ」という言葉は、自分の選ぶ言葉の陳腐さへの自戒と、そんなありふれた言葉たちでもみがいていけたら良くなっていけるかな、という思いがあります。
また、自分の作品は誰かの特別にはならずに消えていくのだろうか、自分の代わりならどこにでもいるんだろうか、という後ろ向きな気持ちがこの作品の後ろに存在しています。
私と同じように自分の価値を見出だせない方が少なからずいる。そんな方々にも、「あなたの代わりはいないよ」と伝わればいいなと願いつつも、自分に言い聞かせるように描きました。
こんな作品でも、読んでいただけた上にスキを押していただき、救われた気持ちになりました。

他にも音の数を考えながら書いた作品はいくつかありますが、長くなったので機会があればまた触れていきたいと思います。

割と軽い気持ちで書こうと思いましたが、自分の作品と向き合って書いていくのは思ったより大変でした。
ただ、作ったあとの作品にここまで向き合うこともなかったように思うので、とてもいい機会でした。
また新しいものをしっかりと書いていけるようがんばりますので、またお読みいただけたら幸いです。
お付き合いいただき、ありがとうございました🙇

秋山青生

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